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レイピア一章4

 
「入隊して落ち着いたかと思えばそそっかしさは相変わらずだな」
わざと嫌みったらしい溜め息をついて、ミケラスは床にしゃがみこんだ。慌ててルターシアも片付けを手伝おうとする。
「怪我するから触んな」
皿の破片に手を伸ばすと、すかさずミケラスに腕を掴まれた。
すでに食事を終えた後だったため、破片を拾い集めるだけで片付けはすぐに終わった。
「ごめん」
頭を下げると、ミケラスは笑ってぽんぽんと頭を叩いた。
「今度からは気をつけな」
彼はルターシアの父方の従兄だ。ルターシアの一番目の姉と同じ二十二歳で、兄であるギゼルフよりも年が近いこともあり、かなり親しい間柄だ。従兄というだけあり、ギゼルフとミケラスは雰囲気がよく似ていた。
ちらりと後ろを見やると、サフィアは何気ないふりをしながらしきりにミケラスを意識しているようだった。本当は話し掛けたいくせに、素直ではない彼女の性格がそれを難しくしているらしい。
薄茶の髪とすらりとした長身、凛々しい眉が特徴的な男らしい顔立ち、知的でありながら気さくな雰囲気を纏った彼は、いつも羨望の眼差しを向けられていた。
「おまえ、リアラナータ王女の専属になったんだろ」
「な、何で知ってるの」
突然耳元で、あまり口外してはいけない事実をさらりと言われて、思わず動揺する。しかもうっかり肯定してしまった。
「さぁな。そこの友達は知らないんだろ?」
「そうだけど……」
サフィアは自分が話題に上がっていることがわかったらしく、頬を染めて俯いてしまった。ミケラスはくすくすと笑う。馬鹿にしているわけではなく、サフィアの反応を微笑ましく思っているようだ。
「しかし上官がカイラーザ・エルドールだなんてとことんついてないな。何か憑いてるんじゃないのか」
「……それってどういう意味?」
意味深なミケラスの言葉が理解できずに首を傾げたが、彼は気の毒そうに笑うだけで答えてくれない。そういえばギゼルフも同じようなことを言っていた気がする。この二人はよく似て、わざと肝心な部分をはぐらかすのだ。なんだかだんだんと腹が立ってきた。
「さっきからわけわかんないことばかり言って、私をからかってるの?」
「俺はおまえをからかうことに全身全霊をかけてるよ」
ミケラスは上機嫌に笑ってルターシアの肩を叩いた。冗談だとわかっていたが、カッとなってそれを振り払おうと手を伸ばす。そのとき、ぐいっと肩を引き、ミケラスが耳元に顔を寄せてきた。
「俺の言っている意味もいずれわかる。絶対に無理をするな。おまえにはギゼルフと俺がついてるから」
端から聞けば赤面してしまいそうな言葉だったが、そうならなかったのはミケラスの声が真剣だったからだ。彼は何を知っているのだろう。余計に不安になってしまう。
「そんな恐いこと言わないでよ……」
本当は問い詰めたい気持ちでいっぱいだったが、サフィアの視線を強く感じてミケラスを押し退けた。
「図書館に用があるから」
そう言って逃げるように食堂を後にした。

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愛華 一章6

「本当なの?」
泣き崩れた少女に詰め寄ると、彼女は赤くなった目でユリアーノを見つめ、ためらいながらも頷いた。雫がまた彼女の手のひらに落ちる。
「私たちは何もできませんでした。私たちが眠る場所に戻ってくる途中で、酔ったイェンヴェルス兵に捕まり、そのまま川沿いに連れていかれて……」
きっとヨルラの少女は悲鳴をあげていたのだろう。まるで悲鳴が今でも聞こえるという風に、少女はうずくまるようにして耳を塞いだ。
「なんてことを……」
あまりにも痛ましい。故郷から遠く離れた地で、若い命を奪われ、純朴な魂さえも傷つけられた少女に想いを重ねると、体中が熱くなった。
「さ、教えてやったんだから、今度は俺にも教えてくれよ」
座り込んでいるユリアーノの背後に、男が立った。皮膚の硬い指が首筋を滑り、金の髪をすくい取る。背筋がぞくりと震えた。
――穢らわしい。
すぐに払い落としたい衝動をこらえ、男の手が背中に滑り込んでくる感覚に耐える。ユリアーノが抵抗しないとわかると、男は本格的に身をかがめ、前の方へ手を伸ばしてきた。その瞬間だった。
ユリアーノは男の顔面に思いきり頭突きを入れ、ひるんだその隙に男の腰から短剣を抜き取った。そしてそれを容赦なく男の大腿に突き立てた。肉を断ち切る鈍い感触が手に伝わってくる。
男が低い悲鳴を上げる。鮮血が溢れ、敷布を真っ赤に染めた。生々しい音を立てて剣を引き抜くと、またも男はうめき声を上げた。その合間にユリアーノは少女の手を取り、天幕から飛び出した。
外では兵士らが十人ほどが休息を取っていったが、並々ならぬ事態に顔つきを変え、立ち上がった。ユリアーノが血で塗れた剣を持っているとわかるやいなや、彼らは剣を抜いてユリアーノたちを取り囲んだ。
「ヨルラの少女に会わせなさい。昨日まで私の世話をしていた娘よ」
ひるまずに兵士らを見つめ返し、腹の底から吐き出すようにはっきりと言った。毅然としていなければ、手足が震えてしまう。
「その娘は死んだ」
昨日の小隊長が現れる。
「知っているわ。野蛮なイェンヴェルス人に殺されたって。会わせて頂戴」
「そんな調子のまま会わせて暴れまわれては困る」
面倒なことは嫌いだと言わんばかりに頭を掻き、小隊長は踵を返そうとした。
「私一人暴れても押さえつければいいでしょう!一目だけ、会わせて!」
「奴隷一人死んで、その死体とあんたを会わせることになんの意味がある?」
彼は馬鹿にしたように吐き捨てる。同時に部下らに合図を送る。
兵士らがゆっくりと近付いてきた。ユリアーノは少女を背後にかばい、両手を喉元の高さに持ち上げた。
「案内しなさい」
血に濡れた刃を自らの首筋に押し当てる。手に力を込めて震えを押しとどめる。
「私の命なんて惜しくないわ。でも、あなたたちは違うでしょう」

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愛華 一章5

 
翌朝、なぜか胸騒ぎを感じてユリアーノは目を覚ました。“将軍”が今日現れるからかもしれない。最初はそう思っていた。
違和感を感じたのは、昨日とは違う少女が食事を運んできたときだった。イェンヴェルス軍に捕らえられてから、食事の世話は昨日の少女がやっていたはずだった。
「ヨルラの少女はどうしたの」
その少女はびくりと体を震わせて、ユリアーノから目を逸らした。指先が細かく震えている。
「何があったの」
ただならぬ事態があの少女を襲ったのだと感じ、ユリアーノはそばで控えていた兵士を睨みつけた。
「教えられない」
「あの子はどこ」
「あんた相手をしてくれるなら、教えてやってもいいが」
にやりと彼が下品な笑いを浮かべた瞬間、ユリアーノは全てを悟った。
「……本当に教えてくれる?」
胸の内に湧き上がる怒りを押し殺し、静かに男に近寄る。男は目を見開いたが、ユリアーノの肢体を視線でなぞり、ごくりと喉を鳴らした。
やわらかそうな瑞々しい肌、華奢だが女らしい丸みを失わない肢体は、男から本能以外のものを容易に剥ぎ取っていった。
ユリアーノは冷め切った眼差しで、目の色を変える男を見据える。自身の容姿と肉体が男たちを豹変させることを彼女はよく知っていた。
男の唇に指を当てる。そっと鼻先が当たりそうなほどに顔を寄せ、囁いた。
「あの子はどこ」
男が唇を寄せてくるのを、両手で押しとどめる。
「教えてからよ」
「もういない」
「え……」
あっけにとられる。その瞬間を狙われたが、かろうじて男の腕から逃れた。
「どういうこと」
「あの奴隷は死んだよ」
じりじりと距離を詰めながら男はおかしそうに言った。
「死んだ……?」
「あんたも馬鹿だなぁ。男が本気になればどうなるのか、わかっちゃいない」
男はユリアーノの首の高さまで手を上げ、絞めるふりをした。
「女をねじ伏せることなんか簡単さ」
首筋から一気に血の気が引いていった。あの少女が殺された……?
男に力づくで押さえつけられ、体を蹂躙(じゅうりん)された上に首を絞められる少女の姿が思い浮かぶ。
背後から、食事を運んできた少女が嗚咽を漏らす声が聞こえた。

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愛華 一章4

細い小川のほとりに麻布がしかれていた。離れた場所からはイェンヴェルス軍の陽気な笑い声が聞こえてくる。しかしここは無愛想な兵士が数人いるだけで、静かだった。
兵士らに促されて麻布の上に座り、少女が差し出した食事を手に取る。乾燥したパン、臭いが強いチーズ。食欲など微塵もなかったが、みじめな気持ちを押し殺してそれらを口に運んだ。味など感じなかった。乾ききった土を噛んでいる気分になる。
「もう食べないのですか」
少女が心配するほど、ユリアーノは食事に手を着けなかった。否、これ以上体が受け付けなかった。
葡萄酒をわずかに含んで立ち上がる。
「もう戻るわ」
「え、あの……」
「馬車に乗る必要はない。今宵はここで休んでもらう」
若い男の声だった。この小隊を率いている軍人だ。
普段なら彼の言葉になど耳を貸さないのだが、今回はその内容に不信感を持ち、男を見た。屈強な体つき、日に焼けた肌。いかにも軍人らしい男だ。
「まだ日は高いのに?」
「将軍が間もなくこの小隊に追いつくからだ」
イェンヴェルス語で淡々と語った男は、これ以上用はないとばかりに踵を返した。
「将軍……」
その言葉が、魂を焦がすように熱を持つ。燃え上がるような熱ではなく、ボルドア山に眠る赤い大地の血のような、全てを溶かし尽くす静かな熱だ。
鮮烈な赤。あの赤い悪夢の元凶が、明日自らの前に現れるのだ。
ユリアーノはぐっと拳を握りしめ、遥か北の大地を見つめていた。

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レイピア一章3

「――…シア、ルターシア!」
間近で呼ばれて、ルターシアははっと我に返る。食堂内のざわめきが一気に耳に流れ込んできて、苛立ったような様子のサフィアの視線を感じた。フォークとナイフを持ったまま、サフィアの存在を忘れて昨日の記憶を反芻してしまっていたらしい。
「ごめん、サフィア」
「どうせレイピアをもらったときのことを思い出してたんでしょ」
慣れたように食事を再開したサフィアにならって、ルターシアも両手を動かす。
サフィアは軍学校の友人だ。寮の相部屋で寝食をともにし、共に夢を語ってきた。学校を卒業して軍に入隊してからも、こうして昼食を一緒にとっている。
「だってすごくうれしかったんだもん」
「わかるわかる。でもあんたはもうちょっと周りをよく見ないとね」
軍学校のときから言われ続けている言葉なだけに、耳が痛い。ひとつのことを考え出すととことん考え込んでしまうのが昔からの悪い癖だった。
「それにしてもあんたのお父さん、すごいよね。そんな立派なレイピアくれるなんて」
「兄さまもソードをもらったらしいよ。うちの家では伝統なんだって」
伯爵位をもらう前から軍と深いかかわりを持っていたハシュフルト家。その古い歴史の中でも、女性で軍人になったものはいまだかつていない。女性が軍人になれる制度が整備されたのも、ここ十数年の話だ。現在では三十人近い女性軍人がいるが、それでも男性に比べるとまだまだ少なく、弊害は多い。軍の中でも女性を入隊させることに反対する声は根強いし、実際に風当たりの強さは身をもって体験してきた。
それでも耐え抜いてこられたのは、目の前にいるサフィアや家族の支え、そしてあの人へのあこがれの気持ちがあったからだ。
(あの人――あ、そうだ)
大切なことを忘れていた。新しい生活と環境に慣れることに必死で、すっかり頭から抜け落ちてしまっていた。
「ルターシア?」
「ごめん、サフィア。私ちょっと調べものがあって」
突発的に椅子から立ち上がる。軍の名簿を調べに行かなければ、と頭はそのことでいっぱいだった。だがその瞬間、椅子に激しく何かがぶつかり、食器のひっくり返る盛大な音が響いた。
(……またやってしまった)
実は初めてではないこの状況に、硬直してしまう。恐くて振り向けない。絶対にあきれ果てていると思ったサフィアは、なぜか笑いをこらえるのに必死な様子だ。
「やりやがったな、ルターシア」
低い声がぞわりと肌を粟立たせる。この声は幼いころから聞きなれたものだ。
「ミ、ミケ?」
恐る恐る振り向くと、そこには眉を引くつかせながらこちらを見下ろす青年が立っていた。

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レイピア一章2

グライファルは訝しげな表情を浮かべる息子と娘を、ある一室に案内した。
部屋の中には古びた甲冑や盾、剣などがずらりと並んでいる。代々将校クラスの軍人を輩出してきたハシュフルト家の家宝というべき品々だ。その中にはグライファル自身が身に着けていた軍服なども並んでいた。
軍人を志してからというもの、ルターシアはずっとこの部屋に入り浸っていた。うっとりと軍服や剣などを見上げる十歳にも満たない娘の姿を、グライファルは複雑な気持ちで眺めていたものだ。
「こちらに来なさい」
グライファルは部屋の隅にある扉付きの棚の前に立った。ギゼルフはすでにこの中になにがあるのかわかっている様子だった。一方のルターシアは期待に目を輝かせている。開けてはならないと昔から言われていた扉がついに開かれるのだから、当然の反応だった。
扉には鍵がかかっている。ポケットに忍ばせていた鍵をとりだし、鍵口に差し込んだ。小さな音と一緒に、キィ、と扉が開いた。
「それは……」
ルターシアが確かめるように声を上げる。
「持ってみなさい」
恐る恐るルターシアは手を伸ばした。暗がりの中でも黒光りする鞘。小さな柄を覆う、精緻な模様が描かれた半円状の金属板。柄を取ってわずかに引けば、白銀の刀身が現れる。ルターシアの問うような眼差しがグライファルに注がれた。
「おまえが軍人になることに、私はずっと反対してきた」
八歳の誕生日に、ルターシアが唐突に軍人になると宣言したことを思い出す。家族のみならず、近しい親族たちも集めた晩餐の席で、ルターシアは眉を吊り上げ、頬を紅潮させながら高らかに宣言したのだ。
『わたしは、ぐんじんになる』と。
もちろん子どもの戯言だとその場は皆笑った。親族らは『ルターシアが守ってくれるなら、この国も安泰だね』などと冗談を言ってルターシアの頭を撫でていた。グライファルもそのときは自分にあこがれてそう言ってくれているのだと微笑ましい気持ちで聞いていた。
だが年を経るにつれ、ルターシアの決意が揺るぎないものであると知り、頭を痛めた。ルターシアは女の子だ。いずれはどこかの貴族に嫁ぐ伯爵家の令嬢だ。また、いくら軍に忠義を尽くしてきたハシュフルト家とはいえ、女児を軍人にすることは世間体に障ってしまう。いや、それよりも女性軍人は茨の道を進むことになる。できるならば、愛しい娘には普通の女性らしい幸せを手に入れてほしかった。
けれども、そんな反対にもルターシアはめげなかった。グライファルによって禁じられた剣の稽古もギゼルフに頼み込んで相手をしてもらっていたし、勉強にも熱心に励み、ついには十四歳になるときに反対を押し切る形で軍学校に入学した。そのころにはグライファルもルターシアの熱意に負けて半ば諦めていたが、半ばは望みを捨てきれないでいた。
だが、先週軍学校を卒業し、晴れ晴れとした表情で帰ってきた娘を見たとき、グライファルは今までの己の身勝手な考えを恥じた。ルターシアが選んだ道をどうして心から応援してあげられなかったのか。たとえこれから進む道が『普通の女性』の幸せとは程遠いものだとしても、『ルターシア』が幸せでいられるなら、どんな道でもその後ろ姿を見守ってやれば良いのだ。
このレイピアは、そのせめてもの贐(はなむけ)の品だ。ルターシアが軍学校に入学したあと、こっそりと作らせたものだが、本当に渡せる日が来るかどうかもわからなかった。だがこうしてルターシアが手にしている姿を見れば、胸に湧き上がってくるものがある。
「今でもおまえが軍人になることを、心から祝福することはできない。この剣がなんのために存在するのかを、もう一度よく考えてみなさい。だが――」
少し言葉を切る。ルターシアの食い入るような眼差しを感じる。大きな新緑の双眸。かつて自分はこんな眼差しをしていたことがあっただろうか。
「心からおまえを誇りに思うよ、ルターシア」
ルターシアの双眸が震える。ずっと不安と後ろめたさを感じてきたのだろう。まさか父からそんな言葉をもらえるとは思っていなかったのか――それともその言葉をずっと切望していたのだろうか。ルターシアは涙をこらえるように、レイピアを強く握りしめた。

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Foschia 1

暗闇に覆われた世界は、まるで真っ黒な四角い箱に詰め込まれたように小さく感じる。おだやかに流れる水の音だけが、この小さな世界をうるおしていく。心臓の音のように、この地に生まれ育った者達の体の隅々まで馴染んだ音。まるで羊水の中にいるかのような、静かな夜だった。朝のひどい靄(もや)はすっきりと晴れ、真っ白な月が浮かんでいる。
窓枠に腰かけていたルースは、湿気たマッチを擦った。ベルダ人の患者がくれた煙草に火を点ける。さすらいの民ベルダ人は怪しげなものを対価に、よく彼の診療所を訪ねてくる。
この二階の部屋からはフェネスの街が見渡せるため、ここは彼のお気に入りの場所だった。仕事終わりにこの窓枠に腰掛け、フェネスの運河と月を眺めながら一服するのが彼の至福の時だ。淡い白の煙が風に流れ、暗闇を藍色に滲ませながら消えていく。
乾いた指先で煙草をつまみ、何度かその煙を吸うと、突然咳が出てきた。
「げほっ、げほっ……。安物だろ、これ……」
薬草のような強烈な臭い。たまらず、外を流れる運河めがけてそれを投げ捨てた。
吸い込まれるように落ちて行く小さな火を目で追う。すると、一階の診療所のドアに前に誰かが立っていることに気付いた。

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愛華 一章3

馬車が止まる気配がして、右手にある扉を注視すると、案の定扉が開いてひとりの少女が現れた。隷属とわかる衣服に身を包んだ少女の手には昼食の載った盆が抱えられていた。
「外へ……」
か細い声で紡がれた言葉は、ユリアーノの祖国の言葉だった。特別に驚くことではない。戦に敗した国が辿る末路を、つい十日ほど前に身をもって知ったばかりだ。
拒否すれば軍人達から引きずりおろされることも学んだばかりだったから、ユリアーノは唇をぐっと引き結び、少女の言葉に従った。足同士を繋ぐ鎖は歩みを妨げるほど短くはない。そのまま馬車を降りて、数刻ぶりの外の空気を深く吸った。埃っぽくて乾燥した空気は、豊かな水に囲まれた祖国のものとは違っていた。まぶたが震えそうになるのを、ユリアーノはなんとかこらえた。
「あと二日でイェンヴェルスに着くみたいです」
頼りない少女の声で、自分ばかりが泣いているわけにはいかないとも感じた。自分以上につらい思いをしている同朋たちはたくさんいるはずだ。だから泣いてはいけない。ユリアーノは拳をぐっと握りしめた。
「あなた、生まれはどこ?」
まさかユリアーノから話しかけられるとは思っていなかったのか、少女は目を瞬かせた。
「あ、あたしは、ヨルラという村に住んでました」
「ヨルラ……知ってるわ。丘が美しいところね」
「……はい」
少女が声を詰まらせる。思わずユリアーノの目にも涙が浮かんだ。そのとき耳障りな男の声が飛んできた。イェンヴェルス語で、「早くしろ」と言っている。
少女にはきっと言葉の意味はわかっていないだろう。だが男の声の調子は少女を怯えさせ、従わせる圧力があった。
「こ、こっちへ……」
少女が足早になる。ユリアーノは思うように歩けなかったが、少女のあとに続いた。

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レイピア一章1

きらびやかな鎧を纏った馬たちが、隊列を乱さずに堂々と歩いていく。
クゼラント王家であるアルマディア家の旗がなびく隣で、〝北東の新星〟ヴィーナ王国の旗が日を浴びて一層紅く燃え立つようだった。
街道の中心を、黒を基調とした瀟洒な馬車が歓声を浴びながら走っていく。グライファルは馬車と並行して馬を操りながら、ちらりとその中にいる人物に目をやった。
麦畑が波立った風景をそのまま切り取ったようなまばゆい金の髪、北の国生まれさながらの透けるように白い肌、それと反するように薄紅色の小さな唇。幼さの残るふっくらとした頬は淡い桃色が浮かび、北の氷の冷たさを感じさせる青い双眸とは対照的だった。それはそれは美しい姫君だと、誰もが称賛するであろうほどの美貌の持ち主だ。
だがその姫君の表情は浮かない。むしろこの馬車が向かう場所が地獄であるかのように、目を伏せ、恐怖を押し殺しているように見えた。
無理もない、とグライファルは溜息を吐く。彼にも子がおり、四人目である三女のルターシアはつい二カ月ほど前に産声を上げたばかりだ。今頃屋敷で妻と使用人達が悪戦苦闘しながら世話を焼いているであろう娘達が、異国の格式に取りつかれた老獪のような王家に嫁ぐ――しかもそれが相手にとって二度目の結婚であるならば、耐えられるだろうか。そしてその結婚が、尊い命の犠牲の上に成り立ち、さらに新たな血を流す可能性をはらんでいるとするならば――。そこまで考えて、グライファルは軽く頭を振った。同情しても、この姫君の運命を変えることはできない。
この姫君に、少しでも多くの幸があらんことを。グライファルにはそう祈ることしかできなかった。

あれから十六年の歳月が経ったのだ、とグライファルはしみじみと感慨にふけっていた。
現在はイェラカ王妃と呼ばれるあの姫君は、あの結婚式から一年後に無事王女を出産し、その後も二人の子を生み、三児の母となった。何度か式典で見かけたときには、あのときの暗い表情はやわらぎ、満ち足りた母の顔つきに変わっていた。そのとき彼女のドレスにしがみつくようにして立っていた幼い王女の姿を、グライファルは思い出す。
まさかあの姫の娘を、自分の娘が近衛官として仕える日が来るなどと、誰が想像し得ただろう。しかもあの姫君の夫たる国王は、かつて彼自身が仕えていた人物でもある。運命とはなんとも面白いものだ、とグライファルはくつくつと笑った。
「何かおもしろいことでもありましたか?」
ひとりでに笑いだした父を、気味悪そうに見る娘の姿に、グライファルは目を細めた。
「いいや。洟(はな)を垂らして遊び転げていたどこかの悪ガキがえらく立派になったな、と思っただけだ」
「……洟は垂らしてませんでしたよ」
「そうだったかな。じゃああれはおまえか、ギゼルフ」
「違いますよ。それはルターシアです。絶対に」
しれっと答えるギゼルフを、ルターシアはじとっと見つめる。そんな兄と妹の姿を見て、グライファルはますます笑った。
「ずいぶんとご機嫌だな」
苦笑いを浮かべながら耳打ちをしてきた兄に、ルターシアも苦笑で答える。
「私が軍人になることは大反対だったのに……よほどうれしかったのでしょうか」
「それはそうだろう。俺が近衛師団に入らなかったときはどれほど不機嫌になったと思う?」
げんなりしたように溜息をつく兄に、ルターシアは同情の眼差しを向けた。
グライファルはひとしきり笑ったあと、思い立ったように立ち上がった。
「どうされました、父上」
ギゼルフが訊ねる。グライファルは二人について来いと合図をして、書斎を出た。

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プロフィール

HN:
都季
性別:
女性
自己紹介:
年齢制限や同性愛を含みます。
PG12…12歳未満は保護者の同意が必要。
R15+…15歳未満閲覧禁止。

ここで書いたものは量がまとまれば加筆修正してサイトに掲載していく予定です。

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