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レイピア一章6

頭文字ばかりに目が行ってしまう。頭を振って、ルターシアは廊下を歩き始めた。
陸軍司令部と近衛隊部署とは距離があって、なかなかギゼルフに会うことはできない。ルターシアはそれでかまわないのだが、兄はそうではないらしい。
意図しないと絶対に会うはずがないのに、こうして頻繁に会うのがその証だ。
「また来たんですか、兄さん」
「ずいぶんな挨拶だなルターシア」
二十五歳になって、やや精悍さを増したものの、まだまだ若さにあふれる兄は陸軍の中でも評判が良いと聞く。
「どうせまた図書館にやってきてるだろうと思って立ち寄ってみたが、案の定だ」
「私を監視するのやめてもらえますか?」
「監視だなんて。ああ、あんなに『お兄ちゃんお兄ちゃん』言ってたころが懐かしいよ」
大仰に額に手を当てて嘆くふりをするのはすっかりおなじみだ。これで陸軍のそれなりの地位にいるというのだから末恐ろしい。そして質が悪いのは、こうされることでルターシアが白けた表情をするのを楽しんでいるというところだ。従兄のミケとそこだけは抜群に相性が合うらしく、二人総出で来られるとさすがのルターシアも辟易してしまう。
「ミケと一緒にしないでくれ。あんな女たらしと違って、俺は一途だ」
「え、声に……?」
またやってしまったのかと慌てていると、「おまえの考えてることなんてすぐにわかる」とあっさり言われた。
もう兄の相手をするのは疲れたし、振り回される自分がどんどん情けなくなってきた。
(ああ、こんな感じで務まるのだろうか……)
すっかりへこんでしまったルターシアに一番動揺しているのは他の誰でもないギゼルフだ。いつもならどんどん白けた目をしていくはずの妹が憔悴してしまい、さらには目も合わせてくれないのだからしかたない。ミケラス、グレイスを相手にしてすでに疲れ切っていたことなど彼は知るはずもなかった。
そんなとき、ギゼルフは誰かから背後から背中を叩かれた。
「なにやってるんだ、ギゼルフ」
「げ、カイル……」
ギゼルフの声と、先程聞いたばかりの声を聞いて、ルターシアは顔を上げた。
「げ、じゃないだろう。それが親友に言う言葉か?」
「誰が親友だ。気安く触るな」
「妹をいじめて楽しいか?変態だな」
ニヤリと笑みを浮かべたのは、先程図書館の出入り口で出会った男だった。
「変態で大いに結構。おまえよりマシだ」
「確かにな。で、おまえの妹を紹介してもらえないのか?」
彼の視線がルターシアに向けられる。冬の大地に生きる狼を彷彿とさせる、鋭い双眸だ。
「おまえに妹を紹介する義理はない」
「へぇ、でもこれからその大事な妹と一緒に仕事をするのはこの俺なんだぞ」
「え?」
それまで蚊帳の外だと思い、事の成り行きを見ていたルターシアは、男の思わぬ言葉に目を見開く。
そして男の胸プレートにもう一度目を向けた。
【Ardall.K】
「エルドール…?」
「特殊な読み方だがな」
サァと頭から血が引いていく音がした。兄の剣呑かつ気楽な雰囲気ですっかり緊張を失ってしまった身体を強張らせる。
「し、失礼しました。私は近衛隊第四隊のルターシア・ハシュフルトです」
「カイラーザ・エルドールだ」
カイラーザがそう名乗り、手を差し伸べてきた。握手をしようとルターシアも手を伸ばそうとした瞬間、ギゼルフがカイラーザの手首を掴んだ。
「握手なんてしなくていい」
「おい、手を離せ」
「下心が見えてるんだよ。ああ、やっぱり父上に話して反対してもらうべきだった」
「後悔先に立たず、だな。というかおまえ一回脳みそ医者に診てもらえ」
ルターシアには彼らの会話が理解できなかった。だが、『下心』でふとグレイスの言葉がよみがえった。
――大事なあなたの心と身体が、彼に盗られるかもしれないじゃない。
「ルターシア?」
「えっ、また声に出てた?」
ギゼルフの呼びかけに思わずそう返すと、カイラーザが笑いだした。
また自爆してしまったのだと気付き、恥ずかしくて彼を直視できない。
「確かにからかいやすいみたいだな、おまえは」
「……言わないでください」
やりとりの意味が理解できていないギゼルフはどういうことだとカイラーザの襟を掴んだが、彼は面白そうに笑うだけだ。
「あとで俺の部屋に。もちろん下心はないぞ」
「おまえが言っても説得力がないんだよ」
「いい加減黙れギゼルフ」
襟を掴んでいたギゼルフの手を振り払う。表情が少し変わっていた。
「仕事の話に決まっている。おまえも今回の馬鹿げた話を知ってるんだろう?中途半端にやれる任務じゃないんだ」
「……わかってる」
ギゼルフも私情から切り替えたのか、溜息交じりにつぶやいた。だがそれはすぐに元に戻る。
「ルターシアに手ぇ出したら、俺と親父が黙ってないからな」
「……リティシアもとんでもないところに嫁に行ったもんだ」
はぁ、と今度はカイラーザが溜息をついて、ルターシアを見た。
「今後の打ち合わせをする。俺の部屋はわかるな?」
「は、はい」
「それじゃあ三時に来てくれ」
そう言って、カイラーザは去って行った。その直前にギゼルフの方へ顔を向けたが、ルターシアからは彼の表情を見ることはできなかった。ただ、ギゼルフの嫌そうな顔を見れば、なんとなく想像はついた。
それよりも、ギゼルフとカイラーザがこれほど仲が良い(?)とは知らなかった。
「兄さん、どうして言ってくれなかったの。エルドール近衛官と仲が良いって」
「仲良し?おまえの目はどうなってる」
「はぐらかさなくていいから」
「軍学校の同期だよ」
「ああ、だからリティシアを知ってたんだ」
「まぁ……いろいろあってな」
含みのある言い方をされて気になったが、そろそろ時間だとギゼルフが言いだしたので問いただすのは帰ってからにすることにした。
ギゼルフと別れ、ルターシアは三時まで時間を潰す方法を考えた。

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【改稿】レイピア一章5

ミケラスは自分の容姿が相手にどんな影響を与えるのかよくわかっているからこそ質(たち)が悪い。
そんなことをぶつぶつとつぶやきながら、ルターシアは図書館へ向かっていた。
国王軍本部は広大な敷地を持っており、移動だけでも重労働だ。図書館は中央に位置しているため、どこの部署からでも比較的来やすい。そうした利点もあり、入隊してからというもの、あるものを探すために入り浸っているのだった。
「あなたまた来たの?」
司書のグレイスが返却済みの本を配架するために回ってきた。ルターシアがそこにいるとわかっていたようだ。
「こんな膨大な名簿の中から、よく探そうと思うわよねぇ」
グレイスが見上げた棚には、黒い背表紙の本がびっしりと配架されている。貸出厳禁の、歴代軍人の名前が載った本だ。その中の入隊した軍人の名前が載っているページに、ルターシアはひたすら目を走らせていた。
「しかも頭文字がわかってるだけなんでしょう」
「ええ。でも、二十年前から探していけば、必ず見つかると思います」
「確かに女性軍人は珍しいから、こんな小さな文字の中でも目立つでしょうけど……」
グレイスは明らかに無謀だと言いたげだったが、ルターシアはひるまない。「E」を頼りに、探し続ける。それらしき名前があればその都度メモはするが、今のところどれも男性の名前だ。
また集中し始めたルターシアに、グレイスが話しかける。
「ああそれと、今日エルドール近衛官が戻ってくるのは知ってる?」
「はい、だから今日会うんですけど……」
思わぬところでエルドールの話が出てきて、顔を上げる。思い浮かんだのは、先程のミケの言葉だ。
「グレイスさん、エルドール近衛官のこと、何か知ってます?」
グレイスは何のことかわからないといった様子で首をかしげた。
「ミケラスが……ああ、私の従兄なんですけど、彼と私の兄が、不安にさせるようなことばかり言ってくるんです」
「たとえば?」
「上官がカイラーザ・エルドールだなんてとことんついてないなとか……」
「ああ、そういうこと」
グレイスが苦笑いを浮かべる。どうやら何か心当たりのあることがあるらしい。
「お兄さん達はあなたのことを心配しているだけよ。エルドール近衛官は、軍人としては素晴らしい方よ」
なんとなく「軍人としては」の「は」が気になったのは気のせいだろうか。
「周りの人はそう言うんですけど……」
「それなら、お兄さん達はやきもちを焼いてるのよ。エルドール近衛官は、かなりの美青年だから」
それはないと思う。兄のギゼルフならともかく、ミケはただルターシアをからかっているだけのように感じた。
必死に考えているルターシアは、グレイスの胸の中でいたずら心が芽生えたことなど気付くはずもない。
(お兄さん達はこれを心配しているのね)
くすっと笑って、グレイスはルターシアの耳元に唇を寄せてきた。
「大事なあなたの心と身体が、彼に盗られるかもしれないじゃない」
「…………えっ?」
最初は意味がわからなかった。だがどう考えても言葉の意味そのまましか解釈できず、意思とは関係なく顔が熱くなっていくのを感じた。
「そ、そんなわけないじゃないですか!」
(この人にまでからかわれてしまった!)
恥ずかしいのやら情けないのやらで、本を閉じようとすると思わず取り落としそうになってしまう。これほど動揺してしまう自分が悲しい。
なんとか本棚に戻し、挨拶もそこそこにルターシアは図書館を後にした。
(食堂の時もこんな感じだったような……)
図書館の扉を後ろ手に閉め、食堂の時から自分の身に起きた災難な出来事(?)を振り返る。
軍学校のころからなんとなく気付いていたが、それは今回確信に変わった。
「からかわれやすいんだ、私は」
本当にいまさらなのだが。それが声に出てるとも知らず、溜息をついて扉から離れると。
「ふぅん、からかわれやすいんだな」
目の前に長身の男が立っていた。二十代半ばで、少し長めの黒髪を軽く後ろに流してまとめた、なかなかの美丈夫だ。狼のように鋭い灰色の目が、ルターシアをじろじろと眺める。
「え、あ!声に……」
「今度から気をつけろよ」
ポンと肩をたたいて、彼は図書館に消えていった。そのときに彼の胸プレートに書かれた「A」という文字が、ルターシアの記憶になぜか残った。
(9月19日初稿、10月31日修正)

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愛華のページをつくりました。

こんにちは。管理人の初瀬です。いつもご愛読いただきありがとうございます。
拍手でコメントをくださった方、ありがとうございました。
愛華の序章と一章が終わりましたので、改めてページを作成しました。

http://weissermond.web.fc2.com/aika.html


一章につきましては、ブツ切りな上に、書いた時期が違うこともあり感情移入しにくい箇所が多かったと思います。私自身も書いていてそれを感じていました。ですので、いま修正しています。

更新が不定期でお待たせしてしまって申し訳ありません。今後ともよろしくお願い致します。

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愛華 一章13

夜が更ける前に、ユリアーノはそっと天幕を抜け出した。
「どこへ行くのですか」
「逃げはしないわ。不安なら、ついてくればいい」
見張りの兵士の言葉にそう返すと、彼はその言葉通りにユリアーノの後についてきた。
恐らく彼女の意図することがわかっていたのだろう。無理やり連れ戻そうとしないところを見ると、ユリアーノの行動を読んだクロイドが指示していたのかもしれない。
ユリアーノの足が向かう先は、奴隷たちの天幕だ。すでに出発に向けて彼らは働き始めていた。
ユリアーノが現れると、ヨルラの少女の代わりに世話をしてくれた少女が驚いたように目を見開いた。だがすぐに事情を飲み込んだのか、陣を少し外れた場所へと案内してくれた。
「ごめんなさい、もう埋葬してしまっていたので…」
「いいのよ」
暗闇に慣れた目が、やわらかい土が盛られた箇所を見つける。そっと跪き、その土に手を触れる。
「……神の幸があらんことを」
瞼を閉じ、少女が神の御手に包みこまれる様を想像する。これは都合のいい妄想なのだろうか。
そのままじっと祈りをささげていると、冷たく張りつめていた空気がふと緩むのを感じた。目を開けると、遠くの山間から曙光がこぼれてくるのが見えた。
きっと少女は天に召されていっったのだ。この地で静かに眠ってくれることを祈り、ユリアーノは少女の墓をあとにした。
天幕があった場所に戻ると、すでにそこに天幕はなく、代わりにクロイド・ギアヌスが立っていた。
「すぐに発つ。準備を」
クロイドはそれだけを言って去って行った。彼はユリアーノがどこへ行っていたのかなどは全く訊かなかった。やはり彼はユリアーノの行動など予想済みだったのだ。
馬車に乗り込み、出立するまでの間に髪を結われ、化粧を施された。何のためなのか、理由は明白だった。
今日、ついにイェンヴェルス――皇帝のおわす場所へと到着するのだ。

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愛華 一章12

「離して」
男の腕を引きはがそうともがいたが、圧倒的な力の差を見せつけられただけだった。
ゆっくりと男の指に力が込められていく。彼にユリアーノの息の根を止める気がないのは明白だった。だが、底知れない恐怖がユリアーノの身体を縛り付けた。炎で赤く照らされてもなお血の気を感じさせない男の美貌が、とてもつもなく恐ろしかった。
「おまえはわかっていないようだな。己の身に、どれだけの命がかかっているのかを」
淡々とつむがれた言葉は、ユリアーノの抵抗を封じるには十分だった。
夢を思い出す。紅い世界の、無数の声達、そして父の声を。
――なぜおまえだけが生き延びた。
「ガレオスとかいったか、あの男は」
思いもしない名前に目を見開く。共に祖国から逃れ、共に捕えられた幼馴染の名だ。
「あの男、なかなか気骨のある男だ」
「彼に何をしたの!」
「何もしていない。だが今後はおまえ次第だ」
彼はそう言ってユリアーノから手を離した。暗闇に向けて部下らしき男の名を呼んだ。
「は、クロイド将軍」
「王女を天幕へ連れて行け」
「ガレオスはどこにいるの!」
暗闇から現われた大男の腕を振り払い、男を睨みつける。
「何度も同じことを言うのは嫌いだ」
いらだちが含まれた声音。もうユリアーノと話す気もなくなったのか、男は立ち上がった。
「明日の早朝に出発する。しっかり身体を休めておけ」
それだけを言い置いて、彼は暗闇の中に姿を消した。
「ガレオス……」
優しい緑の瞳を思い出す。彼が生きていたことを喜ぶべきなのかどうか、わからない。
苦しい目に遭っていないだろうか。ユリアーノが捕えられたことを、自分のせいにしていないだろうか。
だが、それでも、彼がまだ生きていたことがうれしくてたまらなかった。
「戻りますよ、王女様」
憐れみを込めた大男の声に従って、天幕へと戻っていく。

――おまえはわかっていないようだな。己の身に、どれだけの命がかかっているのかを。

その間も、憎き男――クロイド・ギアヌスの言葉が、耳に焼きついて離れなかった。

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愛華 一章11

男はしばらく答えなかった。深い青色の瞳が何を考えているのか、まったくわからない。
「知ってどうする。それでおまえは納得できるのか」
そして返ってきた言葉に愕然とする。怒りを超えたものが溢れ出す。
ユリアーノは手元にあった木の器を彼に投げつけた。器は男がとっさにかかげた腕に弾き飛ばされたが、中に注がれていた水は男の髪から胸にかけてを濡らした。雫の間から覗く双眸がぎろりと鋭さを増した。だが、ユリアーノの怒りは収まらない。
「納得なんてするはずもない!できるはずがない!あんな…あんな殺され方をしなければならなかった理由なんて、あるはずないでしょう!」
衝動のままに振り上げた手が、男の頬を打ち鳴らした。手の痺れが全身に広がるようだった。
今目の前にいるこの男の刃が父の左胸に突き刺さるあの瞬間を、一瞬たりとも忘れたことはない。
最期に、事切れる直前に浮かべた父の微笑が、ユリアーノを激しく困惑させる。
なぜ、父は最期に笑ったのか――なぜ、父は殺されなければならなかったのか。
殺す必要などなかったはずだ。イェンヴェルスの要求を呑み、国を明け渡せばよかっただけのこと。
止まらない「何故」が、瞼の裏から零れ落ちる。
「うっ…う……どうして……どうしてなの……」
この場に刃があれば、この男の心臓を突き破り、そして自らも命を終えることができるのに。
「おまえは生きなければならない」
まるで冷たい石のような声で、男は言った。
「それがおまえの父の願いだ」
「父の言葉を語らないで!けがらわしい!」
その喉に向かって手を伸ばす。だが今度は腕を取られ、組み敷かれてしまう。乾いた男の掌が、喉元に触れた。

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愛華 一章10

近くで薪(たきぎ)が爆ぜる音がした。
薬草を焚いたような、嗅いだことのない臭いが鼻をつく。うっすらと瞼を開くと、星のちりばめられた夜空が目の前に迫ってきた。
五感が覚醒し、隣に人の気配を感じた。薪に照らされた端正な横顔は、意識を失う前に見た男のものだ。
彼は煙草のようなものを口に運び、整った薄い唇から白っぽい紫色の煙を吐き出した。
「目が覚めたか」
低い声が落ちてくる。まさか自分に向けられた言葉とは思えなかったが、周囲には他に誰もいない。
このまま仰臥(ぎょうが)しているわけにもいかず、重い身体をゆっくり起こす。
「随分と疲れていたみたいだな。このまま死んでしまうのではないかと思うくらい、眠っていた」
饒舌に語るその横顔を、黙って見つめる。甘ったるい臭いが不快だった。
もう一度煙草をくわえ、彼は傍らにあった盆を差し出してきた。
「食え。ここで死んでもらっては困る」
なおもユリアーノが口を開かずにいると、彼は地面で煙草を押し消し、身体ごとこちらに向き直った。
左頬だけが炎に照らされ、透き通るように輝いた青い双眸に激しい既視感を覚える。
だがそれはすぐにかき消え、真っ黒な泥水が心臓に絡みついたような苦しさに包まれた。
「なぜ父を殺したの」

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愛華 一章9

 
何も考えられなかった。
ただ、夢想していた。この刃をあの男の左胸に突き刺し、その血を浴びることを。そして自らも首を掻き切り、天上に召された同朋達の元へと行くのだと。
その願望に支配されていた。否、その願望だけで命を繋げてきた。
男の手が伸びてきたことも、恐怖にはならなかった。このまま体ごとぶつけ、心臓を一突きに――!
冷たく整った美貌。魂を居場所を感じない、硝子のような双眸。吸い込まれて、目が逸らせなくなる。
男の体が左に逸れた。ほんのわずかな動作だった。男の左腕が腹に絡みつき、気付けば背後に回られていた。突き込んだ勢いを利用され、鳩尾を締め上げられる。凄まじい圧迫感に息が止まった。
全身から一瞬にして力が奪われ、意識が霞んだ。手の間から短剣が滑り落ちる。崩れ落ちそうになった体を抱きかかえられた。
日に焼けた、戦に慣れた腕だ。この腕が父の命を奪ったのだ。憎くて憎くてたまらない。今すぐにこの腕を切り落としてやりたい。
だが、視界が暗く狭まっていく。
「……ゆるさな…い」
力を失った唇でそれだけを呟くとユリアーノは意識を手放した。
その双眸からは透明な筋が流れ落ちた。

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愛華 一章8

紅の旗がなびく。太陽を模した紋様は、これを持つ者――イェンヴェルス帝国の、絶対の力と自信を表していた。
銀色に輝く兜と鎧を纏ったひとりの男が、何千もの大軍を引き連れていた。
男の乗った馬が止まると、大軍の動きも止まる。粉塵は風にさらわれていった。
男が馬から飛び降り、鬱陶しげに兜を脱いだ。汗で貼りついた前髪をかき上げる。無駄のない引き締まった四肢。滴るように艶を帯びた黒い髪。そして凄絶に整った美貌が現れると、小隊の兵士らは息を飲んだ。
「クロイド将軍、ご無事でなにより」
「何事もなかったか」
静寂は一瞬で、小隊長の一睨みで兵士らは持ち場に戻り、騒音が戻ってきた。
小隊長が天幕に案内する道中で、クロイドと呼ばれた男が尋ねる。一切の感情も読み取れない声音だ。
「はい、何事も」
「ルアンタスの王女はどうだ」
「……それが」
クロイドが目を眇める。小隊長の方が彼よりも年長のはずなのだが、背筋に冷たいものが走った。

   *

天幕の外が一気に騒がしくなった。本隊が到着したようだ。
一筋の汗が首筋を伝っていった。少女の冷たい手を強く握る。こんなに暑いなら、早く埋葬してあげなければ。本当は故郷の土に埋めてあげたいが、それは絶対に叶えられない。せめて綺麗な花と一緒に埋めてあげたい。
父は、埋葬されたのだろうか。
そうであると信じるしかなかった。ただ、母の隣で眠りたいと言っていた彼の願いは叶わなかっただろうと思うと、無念さがこみ上げてきた。
全てはあの男が奪っていった。父のささやかな、たったひとつの願いを易々と砕いた男。少女達の故郷を奪い、そして奴隷という烙印を焼き付けた。
「場所を空けろ!さっさと持ち場に戻れ!」
小隊長の怒声がすぐ近くで聞こえた。奴隷達の体がびくりと震える。彼の声はいつになく尖り、傍に“将軍”がいるのだと想像がついた。
ヨルラの少女の手を一層握る。
「あなたの命を、決して無駄にしないわ」
たかだか奴隷?違う。彼女にも家族があり、兄弟がいて、将来を約束した相手もいたかもしれない。何も自分と変わらない。いつか結婚して、我が子を抱いて、生まれた大地に帰ることを夢見ていたはずだ。
足音が近付いてくる。天幕の入口に背を向けた姿勢のまま、彼が現れるのを息を殺して待つ。
そしてふたつの影が伸びてきた瞬間、ユリアーノは短剣を掴み、身を翻した。

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愛華 一章7

刃から伝い落ちた血が手を濡らす。あの兵士の大腿を突き破った刃が、自らの首に押し当たっている。痛みへの恐怖はある。だが、死への恐怖は微塵もなかった。祖国が滅びたとき、ユリアーノの魂は死んだも同然だった。
空になった肉体を動かしているのは、たったひとつの感情だ。
「早く、あの子に会わせなさい!」
わずかに刃を滑らすと、痛痒が走った。兵士らは動揺する。小隊長が憎々しげにユリアーノを睨む。
「好きにすればいい」
小隊長が合図をし、兵士らは道を開けた。もはやユリアーノに興味はないのか、小隊長はどこかへ行ってしまった。ユリアーノの命さえあれば、彼女が何をしようと干渉しないつもりのようだ。ユリアーノ自身が口にしたように、彼らには圧倒的な力があり、最終的にはねじ伏せればいいだけの話だ。
短剣を首から外す。刃が当たっていた部分に指を滑らせると、わずかに傷ができていた。
未だに震えている少女に案内を頼む。少女は健気に頷いた。兵士達の間を通り抜けると、彼らは複雑な表情を浮かべていた。たかだか奴隷が死んだくらいで、と白けているようにも見える。
ユリアーノは再び高ぶりそうになった感情を落ち着け、少女のあとを追っていった。



ヨルラの少女の亡骸は奴隷達の天幕の中央に置かれていた。苦しげにひそめられた眉が、少女の最期がどれほど悲痛なものだったかを表していた。奴隷達によって洗い清められたものの、痛々しい首の締め痕は隠しようもない。冷たくなったそこに恐る恐る触れる。
奴隷達は遠巻きにユリアーノの様子を眺めている。血に濡れた短剣を持ったまま現れたユリアーノを見たとき、彼らは驚愕に身をひきつらせていた。ユリアーノが祖国の言葉で名を名乗ると、また別の驚きで言葉を失った。
少女の肌は氷のように冷たかった。昨日までの薄桃色の頬は青白く、もはや彼女の体に魂魄すらも残っていないことは明らかだった。
喉が震え、熱い雫が瞼の裏に浮かんだ。この涙は何なんだろう。悲しいという感情よりも激しいこの感情を、どう制御すればいい。
カタカタと何かが振動する音がした。握ったままだった短剣が小刻みに震えている。否、大地がわずかに揺れていた。
蹄の音だ。
ユリアーノは静かに息を飲み込む。腹の奥底が燃えるように熱い。短剣を膝の下に隠し、来るべきときを、息を潜めて待ち続けた。

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プロフィール

HN:
都季
性別:
女性
自己紹介:
年齢制限や同性愛を含みます。
PG12…12歳未満は保護者の同意が必要。
R15+…15歳未満閲覧禁止。

ここで書いたものは量がまとまれば加筆修正してサイトに掲載していく予定です。

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