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愛華 一章13

夜が更ける前に、ユリアーノはそっと天幕を抜け出した。
「どこへ行くのですか」
「逃げはしないわ。不安なら、ついてくればいい」
見張りの兵士の言葉にそう返すと、彼はその言葉通りにユリアーノの後についてきた。
恐らく彼女の意図することがわかっていたのだろう。無理やり連れ戻そうとしないところを見ると、ユリアーノの行動を読んだクロイドが指示していたのかもしれない。
ユリアーノの足が向かう先は、奴隷たちの天幕だ。すでに出発に向けて彼らは働き始めていた。
ユリアーノが現れると、ヨルラの少女の代わりに世話をしてくれた少女が驚いたように目を見開いた。だがすぐに事情を飲み込んだのか、陣を少し外れた場所へと案内してくれた。
「ごめんなさい、もう埋葬してしまっていたので…」
「いいのよ」
暗闇に慣れた目が、やわらかい土が盛られた箇所を見つける。そっと跪き、その土に手を触れる。
「……神の幸があらんことを」
瞼を閉じ、少女が神の御手に包みこまれる様を想像する。これは都合のいい妄想なのだろうか。
そのままじっと祈りをささげていると、冷たく張りつめていた空気がふと緩むのを感じた。目を開けると、遠くの山間から曙光がこぼれてくるのが見えた。
きっと少女は天に召されていっったのだ。この地で静かに眠ってくれることを祈り、ユリアーノは少女の墓をあとにした。
天幕があった場所に戻ると、すでにそこに天幕はなく、代わりにクロイド・ギアヌスが立っていた。
「すぐに発つ。準備を」
クロイドはそれだけを言って去って行った。彼はユリアーノがどこへ行っていたのかなどは全く訊かなかった。やはり彼はユリアーノの行動など予想済みだったのだ。
馬車に乗り込み、出立するまでの間に髪を結われ、化粧を施された。何のためなのか、理由は明白だった。
今日、ついにイェンヴェルス――皇帝のおわす場所へと到着するのだ。

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愛華 一章12

「離して」
男の腕を引きはがそうともがいたが、圧倒的な力の差を見せつけられただけだった。
ゆっくりと男の指に力が込められていく。彼にユリアーノの息の根を止める気がないのは明白だった。だが、底知れない恐怖がユリアーノの身体を縛り付けた。炎で赤く照らされてもなお血の気を感じさせない男の美貌が、とてもつもなく恐ろしかった。
「おまえはわかっていないようだな。己の身に、どれだけの命がかかっているのかを」
淡々とつむがれた言葉は、ユリアーノの抵抗を封じるには十分だった。
夢を思い出す。紅い世界の、無数の声達、そして父の声を。
――なぜおまえだけが生き延びた。
「ガレオスとかいったか、あの男は」
思いもしない名前に目を見開く。共に祖国から逃れ、共に捕えられた幼馴染の名だ。
「あの男、なかなか気骨のある男だ」
「彼に何をしたの!」
「何もしていない。だが今後はおまえ次第だ」
彼はそう言ってユリアーノから手を離した。暗闇に向けて部下らしき男の名を呼んだ。
「は、クロイド将軍」
「王女を天幕へ連れて行け」
「ガレオスはどこにいるの!」
暗闇から現われた大男の腕を振り払い、男を睨みつける。
「何度も同じことを言うのは嫌いだ」
いらだちが含まれた声音。もうユリアーノと話す気もなくなったのか、男は立ち上がった。
「明日の早朝に出発する。しっかり身体を休めておけ」
それだけを言い置いて、彼は暗闇の中に姿を消した。
「ガレオス……」
優しい緑の瞳を思い出す。彼が生きていたことを喜ぶべきなのかどうか、わからない。
苦しい目に遭っていないだろうか。ユリアーノが捕えられたことを、自分のせいにしていないだろうか。
だが、それでも、彼がまだ生きていたことがうれしくてたまらなかった。
「戻りますよ、王女様」
憐れみを込めた大男の声に従って、天幕へと戻っていく。

――おまえはわかっていないようだな。己の身に、どれだけの命がかかっているのかを。

その間も、憎き男――クロイド・ギアヌスの言葉が、耳に焼きついて離れなかった。

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愛華 一章11

男はしばらく答えなかった。深い青色の瞳が何を考えているのか、まったくわからない。
「知ってどうする。それでおまえは納得できるのか」
そして返ってきた言葉に愕然とする。怒りを超えたものが溢れ出す。
ユリアーノは手元にあった木の器を彼に投げつけた。器は男がとっさにかかげた腕に弾き飛ばされたが、中に注がれていた水は男の髪から胸にかけてを濡らした。雫の間から覗く双眸がぎろりと鋭さを増した。だが、ユリアーノの怒りは収まらない。
「納得なんてするはずもない!できるはずがない!あんな…あんな殺され方をしなければならなかった理由なんて、あるはずないでしょう!」
衝動のままに振り上げた手が、男の頬を打ち鳴らした。手の痺れが全身に広がるようだった。
今目の前にいるこの男の刃が父の左胸に突き刺さるあの瞬間を、一瞬たりとも忘れたことはない。
最期に、事切れる直前に浮かべた父の微笑が、ユリアーノを激しく困惑させる。
なぜ、父は最期に笑ったのか――なぜ、父は殺されなければならなかったのか。
殺す必要などなかったはずだ。イェンヴェルスの要求を呑み、国を明け渡せばよかっただけのこと。
止まらない「何故」が、瞼の裏から零れ落ちる。
「うっ…う……どうして……どうしてなの……」
この場に刃があれば、この男の心臓を突き破り、そして自らも命を終えることができるのに。
「おまえは生きなければならない」
まるで冷たい石のような声で、男は言った。
「それがおまえの父の願いだ」
「父の言葉を語らないで!けがらわしい!」
その喉に向かって手を伸ばす。だが今度は腕を取られ、組み敷かれてしまう。乾いた男の掌が、喉元に触れた。

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愛華 一章10

近くで薪(たきぎ)が爆ぜる音がした。
薬草を焚いたような、嗅いだことのない臭いが鼻をつく。うっすらと瞼を開くと、星のちりばめられた夜空が目の前に迫ってきた。
五感が覚醒し、隣に人の気配を感じた。薪に照らされた端正な横顔は、意識を失う前に見た男のものだ。
彼は煙草のようなものを口に運び、整った薄い唇から白っぽい紫色の煙を吐き出した。
「目が覚めたか」
低い声が落ちてくる。まさか自分に向けられた言葉とは思えなかったが、周囲には他に誰もいない。
このまま仰臥(ぎょうが)しているわけにもいかず、重い身体をゆっくり起こす。
「随分と疲れていたみたいだな。このまま死んでしまうのではないかと思うくらい、眠っていた」
饒舌に語るその横顔を、黙って見つめる。甘ったるい臭いが不快だった。
もう一度煙草をくわえ、彼は傍らにあった盆を差し出してきた。
「食え。ここで死んでもらっては困る」
なおもユリアーノが口を開かずにいると、彼は地面で煙草を押し消し、身体ごとこちらに向き直った。
左頬だけが炎に照らされ、透き通るように輝いた青い双眸に激しい既視感を覚える。
だがそれはすぐにかき消え、真っ黒な泥水が心臓に絡みついたような苦しさに包まれた。
「なぜ父を殺したの」

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愛華 一章9

 
何も考えられなかった。
ただ、夢想していた。この刃をあの男の左胸に突き刺し、その血を浴びることを。そして自らも首を掻き切り、天上に召された同朋達の元へと行くのだと。
その願望に支配されていた。否、その願望だけで命を繋げてきた。
男の手が伸びてきたことも、恐怖にはならなかった。このまま体ごとぶつけ、心臓を一突きに――!
冷たく整った美貌。魂を居場所を感じない、硝子のような双眸。吸い込まれて、目が逸らせなくなる。
男の体が左に逸れた。ほんのわずかな動作だった。男の左腕が腹に絡みつき、気付けば背後に回られていた。突き込んだ勢いを利用され、鳩尾を締め上げられる。凄まじい圧迫感に息が止まった。
全身から一瞬にして力が奪われ、意識が霞んだ。手の間から短剣が滑り落ちる。崩れ落ちそうになった体を抱きかかえられた。
日に焼けた、戦に慣れた腕だ。この腕が父の命を奪ったのだ。憎くて憎くてたまらない。今すぐにこの腕を切り落としてやりたい。
だが、視界が暗く狭まっていく。
「……ゆるさな…い」
力を失った唇でそれだけを呟くとユリアーノは意識を手放した。
その双眸からは透明な筋が流れ落ちた。

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愛華 一章8

紅の旗がなびく。太陽を模した紋様は、これを持つ者――イェンヴェルス帝国の、絶対の力と自信を表していた。
銀色に輝く兜と鎧を纏ったひとりの男が、何千もの大軍を引き連れていた。
男の乗った馬が止まると、大軍の動きも止まる。粉塵は風にさらわれていった。
男が馬から飛び降り、鬱陶しげに兜を脱いだ。汗で貼りついた前髪をかき上げる。無駄のない引き締まった四肢。滴るように艶を帯びた黒い髪。そして凄絶に整った美貌が現れると、小隊の兵士らは息を飲んだ。
「クロイド将軍、ご無事でなにより」
「何事もなかったか」
静寂は一瞬で、小隊長の一睨みで兵士らは持ち場に戻り、騒音が戻ってきた。
小隊長が天幕に案内する道中で、クロイドと呼ばれた男が尋ねる。一切の感情も読み取れない声音だ。
「はい、何事も」
「ルアンタスの王女はどうだ」
「……それが」
クロイドが目を眇める。小隊長の方が彼よりも年長のはずなのだが、背筋に冷たいものが走った。

   *

天幕の外が一気に騒がしくなった。本隊が到着したようだ。
一筋の汗が首筋を伝っていった。少女の冷たい手を強く握る。こんなに暑いなら、早く埋葬してあげなければ。本当は故郷の土に埋めてあげたいが、それは絶対に叶えられない。せめて綺麗な花と一緒に埋めてあげたい。
父は、埋葬されたのだろうか。
そうであると信じるしかなかった。ただ、母の隣で眠りたいと言っていた彼の願いは叶わなかっただろうと思うと、無念さがこみ上げてきた。
全てはあの男が奪っていった。父のささやかな、たったひとつの願いを易々と砕いた男。少女達の故郷を奪い、そして奴隷という烙印を焼き付けた。
「場所を空けろ!さっさと持ち場に戻れ!」
小隊長の怒声がすぐ近くで聞こえた。奴隷達の体がびくりと震える。彼の声はいつになく尖り、傍に“将軍”がいるのだと想像がついた。
ヨルラの少女の手を一層握る。
「あなたの命を、決して無駄にしないわ」
たかだか奴隷?違う。彼女にも家族があり、兄弟がいて、将来を約束した相手もいたかもしれない。何も自分と変わらない。いつか結婚して、我が子を抱いて、生まれた大地に帰ることを夢見ていたはずだ。
足音が近付いてくる。天幕の入口に背を向けた姿勢のまま、彼が現れるのを息を殺して待つ。
そしてふたつの影が伸びてきた瞬間、ユリアーノは短剣を掴み、身を翻した。

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愛華 一章7

刃から伝い落ちた血が手を濡らす。あの兵士の大腿を突き破った刃が、自らの首に押し当たっている。痛みへの恐怖はある。だが、死への恐怖は微塵もなかった。祖国が滅びたとき、ユリアーノの魂は死んだも同然だった。
空になった肉体を動かしているのは、たったひとつの感情だ。
「早く、あの子に会わせなさい!」
わずかに刃を滑らすと、痛痒が走った。兵士らは動揺する。小隊長が憎々しげにユリアーノを睨む。
「好きにすればいい」
小隊長が合図をし、兵士らは道を開けた。もはやユリアーノに興味はないのか、小隊長はどこかへ行ってしまった。ユリアーノの命さえあれば、彼女が何をしようと干渉しないつもりのようだ。ユリアーノ自身が口にしたように、彼らには圧倒的な力があり、最終的にはねじ伏せればいいだけの話だ。
短剣を首から外す。刃が当たっていた部分に指を滑らせると、わずかに傷ができていた。
未だに震えている少女に案内を頼む。少女は健気に頷いた。兵士達の間を通り抜けると、彼らは複雑な表情を浮かべていた。たかだか奴隷が死んだくらいで、と白けているようにも見える。
ユリアーノは再び高ぶりそうになった感情を落ち着け、少女のあとを追っていった。



ヨルラの少女の亡骸は奴隷達の天幕の中央に置かれていた。苦しげにひそめられた眉が、少女の最期がどれほど悲痛なものだったかを表していた。奴隷達によって洗い清められたものの、痛々しい首の締め痕は隠しようもない。冷たくなったそこに恐る恐る触れる。
奴隷達は遠巻きにユリアーノの様子を眺めている。血に濡れた短剣を持ったまま現れたユリアーノを見たとき、彼らは驚愕に身をひきつらせていた。ユリアーノが祖国の言葉で名を名乗ると、また別の驚きで言葉を失った。
少女の肌は氷のように冷たかった。昨日までの薄桃色の頬は青白く、もはや彼女の体に魂魄すらも残っていないことは明らかだった。
喉が震え、熱い雫が瞼の裏に浮かんだ。この涙は何なんだろう。悲しいという感情よりも激しいこの感情を、どう制御すればいい。
カタカタと何かが振動する音がした。握ったままだった短剣が小刻みに震えている。否、大地がわずかに揺れていた。
蹄の音だ。
ユリアーノは静かに息を飲み込む。腹の奥底が燃えるように熱い。短剣を膝の下に隠し、来るべきときを、息を潜めて待ち続けた。

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愛華 一章6

「本当なの?」
泣き崩れた少女に詰め寄ると、彼女は赤くなった目でユリアーノを見つめ、ためらいながらも頷いた。雫がまた彼女の手のひらに落ちる。
「私たちは何もできませんでした。私たちが眠る場所に戻ってくる途中で、酔ったイェンヴェルス兵に捕まり、そのまま川沿いに連れていかれて……」
きっとヨルラの少女は悲鳴をあげていたのだろう。まるで悲鳴が今でも聞こえるという風に、少女はうずくまるようにして耳を塞いだ。
「なんてことを……」
あまりにも痛ましい。故郷から遠く離れた地で、若い命を奪われ、純朴な魂さえも傷つけられた少女に想いを重ねると、体中が熱くなった。
「さ、教えてやったんだから、今度は俺にも教えてくれよ」
座り込んでいるユリアーノの背後に、男が立った。皮膚の硬い指が首筋を滑り、金の髪をすくい取る。背筋がぞくりと震えた。
――穢らわしい。
すぐに払い落としたい衝動をこらえ、男の手が背中に滑り込んでくる感覚に耐える。ユリアーノが抵抗しないとわかると、男は本格的に身をかがめ、前の方へ手を伸ばしてきた。その瞬間だった。
ユリアーノは男の顔面に思いきり頭突きを入れ、ひるんだその隙に男の腰から短剣を抜き取った。そしてそれを容赦なく男の大腿に突き立てた。肉を断ち切る鈍い感触が手に伝わってくる。
男が低い悲鳴を上げる。鮮血が溢れ、敷布を真っ赤に染めた。生々しい音を立てて剣を引き抜くと、またも男はうめき声を上げた。その合間にユリアーノは少女の手を取り、天幕から飛び出した。
外では兵士らが十人ほどが休息を取っていったが、並々ならぬ事態に顔つきを変え、立ち上がった。ユリアーノが血で塗れた剣を持っているとわかるやいなや、彼らは剣を抜いてユリアーノたちを取り囲んだ。
「ヨルラの少女に会わせなさい。昨日まで私の世話をしていた娘よ」
ひるまずに兵士らを見つめ返し、腹の底から吐き出すようにはっきりと言った。毅然としていなければ、手足が震えてしまう。
「その娘は死んだ」
昨日の小隊長が現れる。
「知っているわ。野蛮なイェンヴェルス人に殺されたって。会わせて頂戴」
「そんな調子のまま会わせて暴れまわれては困る」
面倒なことは嫌いだと言わんばかりに頭を掻き、小隊長は踵を返そうとした。
「私一人暴れても押さえつければいいでしょう!一目だけ、会わせて!」
「奴隷一人死んで、その死体とあんたを会わせることになんの意味がある?」
彼は馬鹿にしたように吐き捨てる。同時に部下らに合図を送る。
兵士らがゆっくりと近付いてきた。ユリアーノは少女を背後にかばい、両手を喉元の高さに持ち上げた。
「案内しなさい」
血に濡れた刃を自らの首筋に押し当てる。手に力を込めて震えを押しとどめる。
「私の命なんて惜しくないわ。でも、あなたたちは違うでしょう」

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愛華 一章5

 
翌朝、なぜか胸騒ぎを感じてユリアーノは目を覚ました。“将軍”が今日現れるからかもしれない。最初はそう思っていた。
違和感を感じたのは、昨日とは違う少女が食事を運んできたときだった。イェンヴェルス軍に捕らえられてから、食事の世話は昨日の少女がやっていたはずだった。
「ヨルラの少女はどうしたの」
その少女はびくりと体を震わせて、ユリアーノから目を逸らした。指先が細かく震えている。
「何があったの」
ただならぬ事態があの少女を襲ったのだと感じ、ユリアーノはそばで控えていた兵士を睨みつけた。
「教えられない」
「あの子はどこ」
「あんた相手をしてくれるなら、教えてやってもいいが」
にやりと彼が下品な笑いを浮かべた瞬間、ユリアーノは全てを悟った。
「……本当に教えてくれる?」
胸の内に湧き上がる怒りを押し殺し、静かに男に近寄る。男は目を見開いたが、ユリアーノの肢体を視線でなぞり、ごくりと喉を鳴らした。
やわらかそうな瑞々しい肌、華奢だが女らしい丸みを失わない肢体は、男から本能以外のものを容易に剥ぎ取っていった。
ユリアーノは冷め切った眼差しで、目の色を変える男を見据える。自身の容姿と肉体が男たちを豹変させることを彼女はよく知っていた。
男の唇に指を当てる。そっと鼻先が当たりそうなほどに顔を寄せ、囁いた。
「あの子はどこ」
男が唇を寄せてくるのを、両手で押しとどめる。
「教えてからよ」
「もういない」
「え……」
あっけにとられる。その瞬間を狙われたが、かろうじて男の腕から逃れた。
「どういうこと」
「あの奴隷は死んだよ」
じりじりと距離を詰めながら男はおかしそうに言った。
「死んだ……?」
「あんたも馬鹿だなぁ。男が本気になればどうなるのか、わかっちゃいない」
男はユリアーノの首の高さまで手を上げ、絞めるふりをした。
「女をねじ伏せることなんか簡単さ」
首筋から一気に血の気が引いていった。あの少女が殺された……?
男に力づくで押さえつけられ、体を蹂躙(じゅうりん)された上に首を絞められる少女の姿が思い浮かぶ。
背後から、食事を運んできた少女が嗚咽を漏らす声が聞こえた。

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愛華 一章4

細い小川のほとりに麻布がしかれていた。離れた場所からはイェンヴェルス軍の陽気な笑い声が聞こえてくる。しかしここは無愛想な兵士が数人いるだけで、静かだった。
兵士らに促されて麻布の上に座り、少女が差し出した食事を手に取る。乾燥したパン、臭いが強いチーズ。食欲など微塵もなかったが、みじめな気持ちを押し殺してそれらを口に運んだ。味など感じなかった。乾ききった土を噛んでいる気分になる。
「もう食べないのですか」
少女が心配するほど、ユリアーノは食事に手を着けなかった。否、これ以上体が受け付けなかった。
葡萄酒をわずかに含んで立ち上がる。
「もう戻るわ」
「え、あの……」
「馬車に乗る必要はない。今宵はここで休んでもらう」
若い男の声だった。この小隊を率いている軍人だ。
普段なら彼の言葉になど耳を貸さないのだが、今回はその内容に不信感を持ち、男を見た。屈強な体つき、日に焼けた肌。いかにも軍人らしい男だ。
「まだ日は高いのに?」
「将軍が間もなくこの小隊に追いつくからだ」
イェンヴェルス語で淡々と語った男は、これ以上用はないとばかりに踵を返した。
「将軍……」
その言葉が、魂を焦がすように熱を持つ。燃え上がるような熱ではなく、ボルドア山に眠る赤い大地の血のような、全てを溶かし尽くす静かな熱だ。
鮮烈な赤。あの赤い悪夢の元凶が、明日自らの前に現れるのだ。
ユリアーノはぐっと拳を握りしめ、遥か北の大地を見つめていた。

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プロフィール

HN:
都季
性別:
女性
自己紹介:
年齢制限や同性愛を含みます。
PG12…12歳未満は保護者の同意が必要。
R15+…15歳未満閲覧禁止。

ここで書いたものは量がまとまれば加筆修正してサイトに掲載していく予定です。

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