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愛華 一章3

馬車が止まる気配がして、右手にある扉を注視すると、案の定扉が開いてひとりの少女が現れた。隷属とわかる衣服に身を包んだ少女の手には昼食の載った盆が抱えられていた。
「外へ……」
か細い声で紡がれた言葉は、ユリアーノの祖国の言葉だった。特別に驚くことではない。戦に敗した国が辿る末路を、つい十日ほど前に身をもって知ったばかりだ。
拒否すれば軍人達から引きずりおろされることも学んだばかりだったから、ユリアーノは唇をぐっと引き結び、少女の言葉に従った。足同士を繋ぐ鎖は歩みを妨げるほど短くはない。そのまま馬車を降りて、数刻ぶりの外の空気を深く吸った。埃っぽくて乾燥した空気は、豊かな水に囲まれた祖国のものとは違っていた。まぶたが震えそうになるのを、ユリアーノはなんとかこらえた。
「あと二日でイェンヴェルスに着くみたいです」
頼りない少女の声で、自分ばかりが泣いているわけにはいかないとも感じた。自分以上につらい思いをしている同朋たちはたくさんいるはずだ。だから泣いてはいけない。ユリアーノは拳をぐっと握りしめた。
「あなた、生まれはどこ?」
まさかユリアーノから話しかけられるとは思っていなかったのか、少女は目を瞬かせた。
「あ、あたしは、ヨルラという村に住んでました」
「ヨルラ……知ってるわ。丘が美しいところね」
「……はい」
少女が声を詰まらせる。思わずユリアーノの目にも涙が浮かんだ。そのとき耳障りな男の声が飛んできた。イェンヴェルス語で、「早くしろ」と言っている。
少女にはきっと言葉の意味はわかっていないだろう。だが男の声の調子は少女を怯えさせ、従わせる圧力があった。
「こ、こっちへ……」
少女が足早になる。ユリアーノは思うように歩けなかったが、少女のあとに続いた。

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愛華 一章2

ガタン、という大きな揺れでユリアーノは目を覚ました。
こんなに揺れがひどい粗悪な馬車に乗せられているというのにいつの間にか眠ってしまっていた。
頬に筋をつくっていた涙をぬぐって、改めて馬車の中を見回す。
両の足首には錆(さび)の浮いた枷(かせ)がはめられている。何度となく外そうと試みたが無駄な努力だとわかってからは、そのままにしておいた。
窓には布が張られていて外の風景を望むことはできない。

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愛華 一章1

視界が緋色に染まる。とてもきれいな紅。
その色を見るとたまらなく悲しい気持ちと、押さえきれないほどの暴力的な衝動に囚われる。
これは夢だ。
まるで紅く塗りつぶされた四角の箱の中に閉じ込められたように、夢から逃れられない。
声を絞り出そうとしても、肺が押し潰される苦痛を感じるだけだ。
もしかしたら声は出ているのかもしれない。だが耳は機能を失っていた。
これは夢だ。いずれ覚めるただの幻。
現と夢の狭間で、現の肉体が苦しげにうめいているのがわかる。
早くこの夢から抜け出さなければ。どこまでも続く緋色に手を伸ばす。
ぬるり、と指先に生温かいものが触れる。紅い液体が指先を濡らしていた。
まるで意思をもつ生き物のように、紅い液は脈動し、指先から一気に這い上ってきた。
――何故おまえだけが生き残った。
直接脳髄に響いた声は、耳になじんだ愛しい人のものに違いはなかったのに、この世界で聴いたその声は憎悪に震えていた。
違う。これは夢だ。
緋色に染まり、世界と体の境界があいまいになる。このまま食われてしまうのか。
――何故おまえだけが生き残った。
また声が響く。今度はおびただしい数の声だった。祖国で失われた罪のない魂たちの叫びだ。
彼らの無数の手が肌に触れているかのように、わずかにうごめく影が浮かぶ。
これは夢なのか。
もしこれが夢ではないのなら、このまま食われてしまいたいと思った。願った。
祖国にこの血と肉と骨をうずめに行きたい。
涙が目尻を伝い落ちる。この感覚は、現の体が感じたものだ。
そう夢の中で悟ったとき、緋色の世界は白い光に浸食されるように消えていった。

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愛華 序章3

恐る恐る瞼をほどき、先程まで自らが閉じこもっていた建物を仰ぎ見る。夜空が赤く染まるほどの炎がそれを覆い尽くす様を見て、思わず息を呑んだ。
生き延びた――その事実は女にとって重いものであるはずなのに、胎内から伝わってくる鼓動がたまらなく愛おしく、それを繋げることができたことだけに喜びを感じた。
止まらない涙を、大きな掌がぬぐう。
顔を上げると、煤だらけになりながらも精悍さを失わない男の青い眼差しが女を射抜いた。
「行こう」
男が女の手を取った。
どこへ、とは聞かなかった。彼ならば我が子を守り抜いてくれる。そう信じられたから、何も訊かなかった。
一度だけ赤く燃える宮殿を振り返る。苦痛の日々を過ごしただけの忌まわしい建物でも、失われることへの虚しさを感じるのが不思議だった。
男の掌を強く握りしめ、女は踏み出した。新しい命と共に生きるために。

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愛華 序章2

女は腹を抱えるように身を丸くした。ここにきてようやく、己の罪深さを痛感した。
――私はただ、苦しみから解放されたかっただけ。この子には未来があったはずなのに……。
呼吸がだんだんと苦しくなってくる。煙と熱気で頭がぼんやりとかすんだ。
それでも我が子の未来を繋げてあげたいと願った。生きたいと願ったのは、生まれて初めてだった。
そのとき、誰かがが女の名前を叫ぶ声が聞こえた。女は顔を上げ、耳をそばだてる。その声は幻ではなく、はっきりと女の耳に届いた。
「助けて……!」
思ったように声が張れず戸惑ったが、女はあらん限りの力を振り絞って声を上げた。
炎の轟音にまぎれて、人の駆ける音が聞こえた。そして一人の男が姿を現した。
女はその男に見覚えがあった。涙があふれてくる。どうして彼がここにいるのかという疑問は浮かんだが、ただただ彼と邂逅できたことを驚き、喜びに胸が震えた。
男は女を抱え上げ、炎をくぐりぬけるように走った。
女は男の首に腕を回し、硬く目をつぶっていた。焼けるように熱い空気が徐々にゆるんでいくのを肌で感じる。汗で濡れた皮膚にわずかに冷たい風が当たったとき、女はようやく助かったのだと実感した。

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愛華 序章1

炎の熱が、すぐそばまで迫っていた。
まるで地獄の底に突き落とされたかのような人々の叫び声が聞こえる。全てを食らいつくす炎の猛威は人間の本能を剥き出しにさせ、今日の夕刻まで宝石や真っ白な布で着飾っていた人々を醜いまでに踊らせていた。
女は絹張りの長椅子に横たわり、静かに自らの腹部を撫でていた。まだ膨らみは目立たないけれど、女の胎内には新たな命が宿っている。
死に対する恐怖がないわけではない。本当は我が子をこの腕で抱きたいと願っていた。今でも迷いはある。それでも、帝国の灰にまみれて生きていくことよりも、我が子とともに天に召されるほうがよほど魅力的だった。
バチッという激しい音が近くで鳴った。何かに亀裂が走った音だ。そして一気に熱い風が吹き込んできた。喉の奥が塞がれたような息苦しさを感じる。うねりを帯びた熱が襲いかかってくる。

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プロフィール

HN:
都季
性別:
女性
自己紹介:
年齢制限や同性愛を含みます。
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R15+…15歳未満閲覧禁止。

ここで書いたものは量がまとまれば加筆修正してサイトに掲載していく予定です。

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