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レイピア一章6

頭文字ばかりに目が行ってしまう。頭を振って、ルターシアは廊下を歩き始めた。
陸軍司令部と近衛隊部署とは距離があって、なかなかギゼルフに会うことはできない。ルターシアはそれでかまわないのだが、兄はそうではないらしい。
意図しないと絶対に会うはずがないのに、こうして頻繁に会うのがその証だ。
「また来たんですか、兄さん」
「ずいぶんな挨拶だなルターシア」
二十五歳になって、やや精悍さを増したものの、まだまだ若さにあふれる兄は陸軍の中でも評判が良いと聞く。
「どうせまた図書館にやってきてるだろうと思って立ち寄ってみたが、案の定だ」
「私を監視するのやめてもらえますか?」
「監視だなんて。ああ、あんなに『お兄ちゃんお兄ちゃん』言ってたころが懐かしいよ」
大仰に額に手を当てて嘆くふりをするのはすっかりおなじみだ。これで陸軍のそれなりの地位にいるというのだから末恐ろしい。そして質が悪いのは、こうされることでルターシアが白けた表情をするのを楽しんでいるというところだ。従兄のミケとそこだけは抜群に相性が合うらしく、二人総出で来られるとさすがのルターシアも辟易してしまう。
「ミケと一緒にしないでくれ。あんな女たらしと違って、俺は一途だ」
「え、声に……?」
またやってしまったのかと慌てていると、「おまえの考えてることなんてすぐにわかる」とあっさり言われた。
もう兄の相手をするのは疲れたし、振り回される自分がどんどん情けなくなってきた。
(ああ、こんな感じで務まるのだろうか……)
すっかりへこんでしまったルターシアに一番動揺しているのは他の誰でもないギゼルフだ。いつもならどんどん白けた目をしていくはずの妹が憔悴してしまい、さらには目も合わせてくれないのだからしかたない。ミケラス、グレイスを相手にしてすでに疲れ切っていたことなど彼は知るはずもなかった。
そんなとき、ギゼルフは誰かから背後から背中を叩かれた。
「なにやってるんだ、ギゼルフ」
「げ、カイル……」
ギゼルフの声と、先程聞いたばかりの声を聞いて、ルターシアは顔を上げた。
「げ、じゃないだろう。それが親友に言う言葉か?」
「誰が親友だ。気安く触るな」
「妹をいじめて楽しいか?変態だな」
ニヤリと笑みを浮かべたのは、先程図書館の出入り口で出会った男だった。
「変態で大いに結構。おまえよりマシだ」
「確かにな。で、おまえの妹を紹介してもらえないのか?」
彼の視線がルターシアに向けられる。冬の大地に生きる狼を彷彿とさせる、鋭い双眸だ。
「おまえに妹を紹介する義理はない」
「へぇ、でもこれからその大事な妹と一緒に仕事をするのはこの俺なんだぞ」
「え?」
それまで蚊帳の外だと思い、事の成り行きを見ていたルターシアは、男の思わぬ言葉に目を見開く。
そして男の胸プレートにもう一度目を向けた。
【Ardall.K】
「エルドール…?」
「特殊な読み方だがな」
サァと頭から血が引いていく音がした。兄の剣呑かつ気楽な雰囲気ですっかり緊張を失ってしまった身体を強張らせる。
「し、失礼しました。私は近衛隊第四隊のルターシア・ハシュフルトです」
「カイラーザ・エルドールだ」
カイラーザがそう名乗り、手を差し伸べてきた。握手をしようとルターシアも手を伸ばそうとした瞬間、ギゼルフがカイラーザの手首を掴んだ。
「握手なんてしなくていい」
「おい、手を離せ」
「下心が見えてるんだよ。ああ、やっぱり父上に話して反対してもらうべきだった」
「後悔先に立たず、だな。というかおまえ一回脳みそ医者に診てもらえ」
ルターシアには彼らの会話が理解できなかった。だが、『下心』でふとグレイスの言葉がよみがえった。
――大事なあなたの心と身体が、彼に盗られるかもしれないじゃない。
「ルターシア?」
「えっ、また声に出てた?」
ギゼルフの呼びかけに思わずそう返すと、カイラーザが笑いだした。
また自爆してしまったのだと気付き、恥ずかしくて彼を直視できない。
「確かにからかいやすいみたいだな、おまえは」
「……言わないでください」
やりとりの意味が理解できていないギゼルフはどういうことだとカイラーザの襟を掴んだが、彼は面白そうに笑うだけだ。
「あとで俺の部屋に。もちろん下心はないぞ」
「おまえが言っても説得力がないんだよ」
「いい加減黙れギゼルフ」
襟を掴んでいたギゼルフの手を振り払う。表情が少し変わっていた。
「仕事の話に決まっている。おまえも今回の馬鹿げた話を知ってるんだろう?中途半端にやれる任務じゃないんだ」
「……わかってる」
ギゼルフも私情から切り替えたのか、溜息交じりにつぶやいた。だがそれはすぐに元に戻る。
「ルターシアに手ぇ出したら、俺と親父が黙ってないからな」
「……リティシアもとんでもないところに嫁に行ったもんだ」
はぁ、と今度はカイラーザが溜息をついて、ルターシアを見た。
「今後の打ち合わせをする。俺の部屋はわかるな?」
「は、はい」
「それじゃあ三時に来てくれ」
そう言って、カイラーザは去って行った。その直前にギゼルフの方へ顔を向けたが、ルターシアからは彼の表情を見ることはできなかった。ただ、ギゼルフの嫌そうな顔を見れば、なんとなく想像はついた。
それよりも、ギゼルフとカイラーザがこれほど仲が良い(?)とは知らなかった。
「兄さん、どうして言ってくれなかったの。エルドール近衛官と仲が良いって」
「仲良し?おまえの目はどうなってる」
「はぐらかさなくていいから」
「軍学校の同期だよ」
「ああ、だからリティシアを知ってたんだ」
「まぁ……いろいろあってな」
含みのある言い方をされて気になったが、そろそろ時間だとギゼルフが言いだしたので問いただすのは帰ってからにすることにした。
ギゼルフと別れ、ルターシアは三時まで時間を潰す方法を考えた。

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【改稿】レイピア一章5

ミケラスは自分の容姿が相手にどんな影響を与えるのかよくわかっているからこそ質(たち)が悪い。
そんなことをぶつぶつとつぶやきながら、ルターシアは図書館へ向かっていた。
国王軍本部は広大な敷地を持っており、移動だけでも重労働だ。図書館は中央に位置しているため、どこの部署からでも比較的来やすい。そうした利点もあり、入隊してからというもの、あるものを探すために入り浸っているのだった。
「あなたまた来たの?」
司書のグレイスが返却済みの本を配架するために回ってきた。ルターシアがそこにいるとわかっていたようだ。
「こんな膨大な名簿の中から、よく探そうと思うわよねぇ」
グレイスが見上げた棚には、黒い背表紙の本がびっしりと配架されている。貸出厳禁の、歴代軍人の名前が載った本だ。その中の入隊した軍人の名前が載っているページに、ルターシアはひたすら目を走らせていた。
「しかも頭文字がわかってるだけなんでしょう」
「ええ。でも、二十年前から探していけば、必ず見つかると思います」
「確かに女性軍人は珍しいから、こんな小さな文字の中でも目立つでしょうけど……」
グレイスは明らかに無謀だと言いたげだったが、ルターシアはひるまない。「E」を頼りに、探し続ける。それらしき名前があればその都度メモはするが、今のところどれも男性の名前だ。
また集中し始めたルターシアに、グレイスが話しかける。
「ああそれと、今日エルドール近衛官が戻ってくるのは知ってる?」
「はい、だから今日会うんですけど……」
思わぬところでエルドールの話が出てきて、顔を上げる。思い浮かんだのは、先程のミケの言葉だ。
「グレイスさん、エルドール近衛官のこと、何か知ってます?」
グレイスは何のことかわからないといった様子で首をかしげた。
「ミケラスが……ああ、私の従兄なんですけど、彼と私の兄が、不安にさせるようなことばかり言ってくるんです」
「たとえば?」
「上官がカイラーザ・エルドールだなんてとことんついてないなとか……」
「ああ、そういうこと」
グレイスが苦笑いを浮かべる。どうやら何か心当たりのあることがあるらしい。
「お兄さん達はあなたのことを心配しているだけよ。エルドール近衛官は、軍人としては素晴らしい方よ」
なんとなく「軍人としては」の「は」が気になったのは気のせいだろうか。
「周りの人はそう言うんですけど……」
「それなら、お兄さん達はやきもちを焼いてるのよ。エルドール近衛官は、かなりの美青年だから」
それはないと思う。兄のギゼルフならともかく、ミケはただルターシアをからかっているだけのように感じた。
必死に考えているルターシアは、グレイスの胸の中でいたずら心が芽生えたことなど気付くはずもない。
(お兄さん達はこれを心配しているのね)
くすっと笑って、グレイスはルターシアの耳元に唇を寄せてきた。
「大事なあなたの心と身体が、彼に盗られるかもしれないじゃない」
「…………えっ?」
最初は意味がわからなかった。だがどう考えても言葉の意味そのまましか解釈できず、意思とは関係なく顔が熱くなっていくのを感じた。
「そ、そんなわけないじゃないですか!」
(この人にまでからかわれてしまった!)
恥ずかしいのやら情けないのやらで、本を閉じようとすると思わず取り落としそうになってしまう。これほど動揺してしまう自分が悲しい。
なんとか本棚に戻し、挨拶もそこそこにルターシアは図書館を後にした。
(食堂の時もこんな感じだったような……)
図書館の扉を後ろ手に閉め、食堂の時から自分の身に起きた災難な出来事(?)を振り返る。
軍学校のころからなんとなく気付いていたが、それは今回確信に変わった。
「からかわれやすいんだ、私は」
本当にいまさらなのだが。それが声に出てるとも知らず、溜息をついて扉から離れると。
「ふぅん、からかわれやすいんだな」
目の前に長身の男が立っていた。二十代半ばで、少し長めの黒髪を軽く後ろに流してまとめた、なかなかの美丈夫だ。狼のように鋭い灰色の目が、ルターシアをじろじろと眺める。
「え、あ!声に……」
「今度から気をつけろよ」
ポンと肩をたたいて、彼は図書館に消えていった。そのときに彼の胸プレートに書かれた「A」という文字が、ルターシアの記憶になぜか残った。
(9月19日初稿、10月31日修正)

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レイピア一章4

 
「入隊して落ち着いたかと思えばそそっかしさは相変わらずだな」
わざと嫌みったらしい溜め息をついて、ミケラスは床にしゃがみこんだ。慌ててルターシアも片付けを手伝おうとする。
「怪我するから触んな」
皿の破片に手を伸ばすと、すかさずミケラスに腕を掴まれた。
すでに食事を終えた後だったため、破片を拾い集めるだけで片付けはすぐに終わった。
「ごめん」
頭を下げると、ミケラスは笑ってぽんぽんと頭を叩いた。
「今度からは気をつけな」
彼はルターシアの父方の従兄だ。ルターシアの一番目の姉と同じ二十二歳で、兄であるギゼルフよりも年が近いこともあり、かなり親しい間柄だ。従兄というだけあり、ギゼルフとミケラスは雰囲気がよく似ていた。
ちらりと後ろを見やると、サフィアは何気ないふりをしながらしきりにミケラスを意識しているようだった。本当は話し掛けたいくせに、素直ではない彼女の性格がそれを難しくしているらしい。
薄茶の髪とすらりとした長身、凛々しい眉が特徴的な男らしい顔立ち、知的でありながら気さくな雰囲気を纏った彼は、いつも羨望の眼差しを向けられていた。
「おまえ、リアラナータ王女の専属になったんだろ」
「な、何で知ってるの」
突然耳元で、あまり口外してはいけない事実をさらりと言われて、思わず動揺する。しかもうっかり肯定してしまった。
「さぁな。そこの友達は知らないんだろ?」
「そうだけど……」
サフィアは自分が話題に上がっていることがわかったらしく、頬を染めて俯いてしまった。ミケラスはくすくすと笑う。馬鹿にしているわけではなく、サフィアの反応を微笑ましく思っているようだ。
「しかし上官がカイラーザ・エルドールだなんてとことんついてないな。何か憑いてるんじゃないのか」
「……それってどういう意味?」
意味深なミケラスの言葉が理解できずに首を傾げたが、彼は気の毒そうに笑うだけで答えてくれない。そういえばギゼルフも同じようなことを言っていた気がする。この二人はよく似て、わざと肝心な部分をはぐらかすのだ。なんだかだんだんと腹が立ってきた。
「さっきからわけわかんないことばかり言って、私をからかってるの?」
「俺はおまえをからかうことに全身全霊をかけてるよ」
ミケラスは上機嫌に笑ってルターシアの肩を叩いた。冗談だとわかっていたが、カッとなってそれを振り払おうと手を伸ばす。そのとき、ぐいっと肩を引き、ミケラスが耳元に顔を寄せてきた。
「俺の言っている意味もいずれわかる。絶対に無理をするな。おまえにはギゼルフと俺がついてるから」
端から聞けば赤面してしまいそうな言葉だったが、そうならなかったのはミケラスの声が真剣だったからだ。彼は何を知っているのだろう。余計に不安になってしまう。
「そんな恐いこと言わないでよ……」
本当は問い詰めたい気持ちでいっぱいだったが、サフィアの視線を強く感じてミケラスを押し退けた。
「図書館に用があるから」
そう言って逃げるように食堂を後にした。

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レイピア一章3

「――…シア、ルターシア!」
間近で呼ばれて、ルターシアははっと我に返る。食堂内のざわめきが一気に耳に流れ込んできて、苛立ったような様子のサフィアの視線を感じた。フォークとナイフを持ったまま、サフィアの存在を忘れて昨日の記憶を反芻してしまっていたらしい。
「ごめん、サフィア」
「どうせレイピアをもらったときのことを思い出してたんでしょ」
慣れたように食事を再開したサフィアにならって、ルターシアも両手を動かす。
サフィアは軍学校の友人だ。寮の相部屋で寝食をともにし、共に夢を語ってきた。学校を卒業して軍に入隊してからも、こうして昼食を一緒にとっている。
「だってすごくうれしかったんだもん」
「わかるわかる。でもあんたはもうちょっと周りをよく見ないとね」
軍学校のときから言われ続けている言葉なだけに、耳が痛い。ひとつのことを考え出すととことん考え込んでしまうのが昔からの悪い癖だった。
「それにしてもあんたのお父さん、すごいよね。そんな立派なレイピアくれるなんて」
「兄さまもソードをもらったらしいよ。うちの家では伝統なんだって」
伯爵位をもらう前から軍と深いかかわりを持っていたハシュフルト家。その古い歴史の中でも、女性で軍人になったものはいまだかつていない。女性が軍人になれる制度が整備されたのも、ここ十数年の話だ。現在では三十人近い女性軍人がいるが、それでも男性に比べるとまだまだ少なく、弊害は多い。軍の中でも女性を入隊させることに反対する声は根強いし、実際に風当たりの強さは身をもって体験してきた。
それでも耐え抜いてこられたのは、目の前にいるサフィアや家族の支え、そしてあの人へのあこがれの気持ちがあったからだ。
(あの人――あ、そうだ)
大切なことを忘れていた。新しい生活と環境に慣れることに必死で、すっかり頭から抜け落ちてしまっていた。
「ルターシア?」
「ごめん、サフィア。私ちょっと調べものがあって」
突発的に椅子から立ち上がる。軍の名簿を調べに行かなければ、と頭はそのことでいっぱいだった。だがその瞬間、椅子に激しく何かがぶつかり、食器のひっくり返る盛大な音が響いた。
(……またやってしまった)
実は初めてではないこの状況に、硬直してしまう。恐くて振り向けない。絶対にあきれ果てていると思ったサフィアは、なぜか笑いをこらえるのに必死な様子だ。
「やりやがったな、ルターシア」
低い声がぞわりと肌を粟立たせる。この声は幼いころから聞きなれたものだ。
「ミ、ミケ?」
恐る恐る振り向くと、そこには眉を引くつかせながらこちらを見下ろす青年が立っていた。

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レイピア一章2

グライファルは訝しげな表情を浮かべる息子と娘を、ある一室に案内した。
部屋の中には古びた甲冑や盾、剣などがずらりと並んでいる。代々将校クラスの軍人を輩出してきたハシュフルト家の家宝というべき品々だ。その中にはグライファル自身が身に着けていた軍服なども並んでいた。
軍人を志してからというもの、ルターシアはずっとこの部屋に入り浸っていた。うっとりと軍服や剣などを見上げる十歳にも満たない娘の姿を、グライファルは複雑な気持ちで眺めていたものだ。
「こちらに来なさい」
グライファルは部屋の隅にある扉付きの棚の前に立った。ギゼルフはすでにこの中になにがあるのかわかっている様子だった。一方のルターシアは期待に目を輝かせている。開けてはならないと昔から言われていた扉がついに開かれるのだから、当然の反応だった。
扉には鍵がかかっている。ポケットに忍ばせていた鍵をとりだし、鍵口に差し込んだ。小さな音と一緒に、キィ、と扉が開いた。
「それは……」
ルターシアが確かめるように声を上げる。
「持ってみなさい」
恐る恐るルターシアは手を伸ばした。暗がりの中でも黒光りする鞘。小さな柄を覆う、精緻な模様が描かれた半円状の金属板。柄を取ってわずかに引けば、白銀の刀身が現れる。ルターシアの問うような眼差しがグライファルに注がれた。
「おまえが軍人になることに、私はずっと反対してきた」
八歳の誕生日に、ルターシアが唐突に軍人になると宣言したことを思い出す。家族のみならず、近しい親族たちも集めた晩餐の席で、ルターシアは眉を吊り上げ、頬を紅潮させながら高らかに宣言したのだ。
『わたしは、ぐんじんになる』と。
もちろん子どもの戯言だとその場は皆笑った。親族らは『ルターシアが守ってくれるなら、この国も安泰だね』などと冗談を言ってルターシアの頭を撫でていた。グライファルもそのときは自分にあこがれてそう言ってくれているのだと微笑ましい気持ちで聞いていた。
だが年を経るにつれ、ルターシアの決意が揺るぎないものであると知り、頭を痛めた。ルターシアは女の子だ。いずれはどこかの貴族に嫁ぐ伯爵家の令嬢だ。また、いくら軍に忠義を尽くしてきたハシュフルト家とはいえ、女児を軍人にすることは世間体に障ってしまう。いや、それよりも女性軍人は茨の道を進むことになる。できるならば、愛しい娘には普通の女性らしい幸せを手に入れてほしかった。
けれども、そんな反対にもルターシアはめげなかった。グライファルによって禁じられた剣の稽古もギゼルフに頼み込んで相手をしてもらっていたし、勉強にも熱心に励み、ついには十四歳になるときに反対を押し切る形で軍学校に入学した。そのころにはグライファルもルターシアの熱意に負けて半ば諦めていたが、半ばは望みを捨てきれないでいた。
だが、先週軍学校を卒業し、晴れ晴れとした表情で帰ってきた娘を見たとき、グライファルは今までの己の身勝手な考えを恥じた。ルターシアが選んだ道をどうして心から応援してあげられなかったのか。たとえこれから進む道が『普通の女性』の幸せとは程遠いものだとしても、『ルターシア』が幸せでいられるなら、どんな道でもその後ろ姿を見守ってやれば良いのだ。
このレイピアは、そのせめてもの贐(はなむけ)の品だ。ルターシアが軍学校に入学したあと、こっそりと作らせたものだが、本当に渡せる日が来るかどうかもわからなかった。だがこうしてルターシアが手にしている姿を見れば、胸に湧き上がってくるものがある。
「今でもおまえが軍人になることを、心から祝福することはできない。この剣がなんのために存在するのかを、もう一度よく考えてみなさい。だが――」
少し言葉を切る。ルターシアの食い入るような眼差しを感じる。大きな新緑の双眸。かつて自分はこんな眼差しをしていたことがあっただろうか。
「心からおまえを誇りに思うよ、ルターシア」
ルターシアの双眸が震える。ずっと不安と後ろめたさを感じてきたのだろう。まさか父からそんな言葉をもらえるとは思っていなかったのか――それともその言葉をずっと切望していたのだろうか。ルターシアは涙をこらえるように、レイピアを強く握りしめた。

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レイピア一章1

きらびやかな鎧を纏った馬たちが、隊列を乱さずに堂々と歩いていく。
クゼラント王家であるアルマディア家の旗がなびく隣で、〝北東の新星〟ヴィーナ王国の旗が日を浴びて一層紅く燃え立つようだった。
街道の中心を、黒を基調とした瀟洒な馬車が歓声を浴びながら走っていく。グライファルは馬車と並行して馬を操りながら、ちらりとその中にいる人物に目をやった。
麦畑が波立った風景をそのまま切り取ったようなまばゆい金の髪、北の国生まれさながらの透けるように白い肌、それと反するように薄紅色の小さな唇。幼さの残るふっくらとした頬は淡い桃色が浮かび、北の氷の冷たさを感じさせる青い双眸とは対照的だった。それはそれは美しい姫君だと、誰もが称賛するであろうほどの美貌の持ち主だ。
だがその姫君の表情は浮かない。むしろこの馬車が向かう場所が地獄であるかのように、目を伏せ、恐怖を押し殺しているように見えた。
無理もない、とグライファルは溜息を吐く。彼にも子がおり、四人目である三女のルターシアはつい二カ月ほど前に産声を上げたばかりだ。今頃屋敷で妻と使用人達が悪戦苦闘しながら世話を焼いているであろう娘達が、異国の格式に取りつかれた老獪のような王家に嫁ぐ――しかもそれが相手にとって二度目の結婚であるならば、耐えられるだろうか。そしてその結婚が、尊い命の犠牲の上に成り立ち、さらに新たな血を流す可能性をはらんでいるとするならば――。そこまで考えて、グライファルは軽く頭を振った。同情しても、この姫君の運命を変えることはできない。
この姫君に、少しでも多くの幸があらんことを。グライファルにはそう祈ることしかできなかった。

あれから十六年の歳月が経ったのだ、とグライファルはしみじみと感慨にふけっていた。
現在はイェラカ王妃と呼ばれるあの姫君は、あの結婚式から一年後に無事王女を出産し、その後も二人の子を生み、三児の母となった。何度か式典で見かけたときには、あのときの暗い表情はやわらぎ、満ち足りた母の顔つきに変わっていた。そのとき彼女のドレスにしがみつくようにして立っていた幼い王女の姿を、グライファルは思い出す。
まさかあの姫の娘を、自分の娘が近衛官として仕える日が来るなどと、誰が想像し得ただろう。しかもあの姫君の夫たる国王は、かつて彼自身が仕えていた人物でもある。運命とはなんとも面白いものだ、とグライファルはくつくつと笑った。
「何かおもしろいことでもありましたか?」
ひとりでに笑いだした父を、気味悪そうに見る娘の姿に、グライファルは目を細めた。
「いいや。洟(はな)を垂らして遊び転げていたどこかの悪ガキがえらく立派になったな、と思っただけだ」
「……洟は垂らしてませんでしたよ」
「そうだったかな。じゃああれはおまえか、ギゼルフ」
「違いますよ。それはルターシアです。絶対に」
しれっと答えるギゼルフを、ルターシアはじとっと見つめる。そんな兄と妹の姿を見て、グライファルはますます笑った。
「ずいぶんとご機嫌だな」
苦笑いを浮かべながら耳打ちをしてきた兄に、ルターシアも苦笑で答える。
「私が軍人になることは大反対だったのに……よほどうれしかったのでしょうか」
「それはそうだろう。俺が近衛師団に入らなかったときはどれほど不機嫌になったと思う?」
げんなりしたように溜息をつく兄に、ルターシアは同情の眼差しを向けた。
グライファルはひとしきり笑ったあと、思い立ったように立ち上がった。
「どうされました、父上」
ギゼルフが訊ねる。グライファルは二人について来いと合図をして、書斎を出た。

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レイピア序章2

違和感は突然の激痛に変わった。
「……ッ!」
声にならない呻きをもらして、少年はその場に倒れ込んだ。胃が焼けるように熱い。強烈な吐き気に襲われたが、うまく吐き出すことができない。
雪に埋もれたままお腹を抱え、苦しい声を漏らすことしかできなかった。
「お…母さま……」
少年は母の面影を求めて、視線をさまよわせる。
(お母さま……)
すぐそばで、雪を踏みしめる音がした。雪でまだらになった黒い靴が目の前に現れる。
(……だれ?)
視線を登らせていく。男の目が少年をじっと見下ろしていた。少年の息は一瞬止まった。
そのとき、そう遠くない場所から少年の名を呼ぶ声がした。男ははっとその方角へ顔を向けると、雪を散らしながら庭園のさらに奥へと逃げていった。
少年はそれを呆然と見送った。聞き慣れた初老の男の声が近づいてくる。それなのに、心臓はせわしなく鳴り続け、体も震え続けた。
あの目。少年をじっと見下ろしていた眼差し。
まるで少年を射殺さんばかりに鋭かった。明らかな殺意を持った刃だった。
怖かった。殺されるかと思った。なぜあんな殺意を向けられなければならなかったのか、まだ幼い少年にわかるはずもない。ただ一生拭えることのない根強い恐怖を植え付けられたのは確かだった。
初老の男が少年の姿を見つけ、駆け寄ってくる。抱き起こされ、男が他に助けを求める声を、少年はどこか別の世界で聞いていた。

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レイピア序章1

昨晩までの大雪が嘘のように、空は輝くばかりの青色に彩られていた。庭園は隙間なく白い雪に覆われていて、少年はたまらなく足跡をつけてまわりたい衝動に駆られたが、そんなことをすればお目付役から叱責を受けることがわかっていたので、ぐっとこらえた。
それでもうずうずとした気持ちが抑えきれず、少年は庭師たちに見つからないように庭の最奥にある泉を目指した。あそこならばきっと人目につくことはない。幼少の頃からの知恵だった。
ところが少年の確信は、泉に近付くにつれて不可思議な感覚に揺らいでいった。足跡がある。しかも真新しく、この足跡の持ち主の慌ただしさが容易に想像できるほどに荒々しいものだった。
嫌な予感がする。少年は恐る恐る泉に近付いていった。大昔の神話をモチーフにした石膏像で囲われた泉は、雪に覆われていて静寂の中にひっそりと眠りについていた。
白い息が震える。手と足の指先に感覚がなくなる。それなのに、体の中が異様に熱くなっていることに、少年は戸惑いを覚えた。
(お母さま……!)
心の中で母に助けを求める。いつも心細いときや不安なときにやさしく抱きしめてくれた母の姿を思い浮かべた。

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プロフィール

HN:
都季
性別:
女性
自己紹介:
年齢制限や同性愛を含みます。
PG12…12歳未満は保護者の同意が必要。
R15+…15歳未満閲覧禁止。

ここで書いたものは量がまとまれば加筆修正してサイトに掲載していく予定です。

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